笑福亭鶴光が林家木久扇を爆笑直撃!「笑点」出演50年の「裏事件」(2)自分のクルマやと大事に走りよる (2/3ページ)
木久扇 「明日からいらっしゃい」って言われ、戻って先生に報告したら「行ったほうがいい。ウチの手伝いなんて、誰でもできるんだから」って。だから、行きたくなかったですよ(笑)。
鶴光 (三代目桂)米朝師匠も、浪曲「天保水滸伝」の台本を手がけた作家・正岡容(まさおかいるる)の一番弟子。ほんで、ちょっと落語の勉強してこい言われて、行きたくなかったのに、(四代目桂)米團治師匠に入門。「なんでワシがそんなとこ行かされるんやて思うた」言うてました。
木久扇 ばくち打ちでもあった三木助師匠は、人を見抜く方でしたね。お茶にも難しいんです。茶をついで持っていくと、「急須も持っといで」。で、パッと蓋取って、「バカ野郎。茶殻がついてるじゃねーか」。雨の日、「クルマ拾っといで」「師匠、クルマが参りました」「これは個人じゃねーか。アタシは個人には乗らねーよ。帰しな」って。
鶴光 ウチの松鶴も個人タクシーはダメなんです。「自分のクルマやから大事に走りよる。会社のクルマなら、思いっ切り走る。だからエエのや」て(笑)。
木久扇 三木助師匠は58歳という若さで亡くなって。
鶴光 米朝師匠が三木助の名前を欲しがってました。(三遊亭)圓馬も(桂)文治も、もともとは上方落語の名跡。米朝師匠はそういう名を戻したい言うてました。
林家木久扇(はやしや・きくおう)1937年10月19日、東京・日本橋出身。60年、三代目桂三木助に入門。翌年、三木助没後、八代目林家正蔵門下へ移る。69年から日テレ「笑点」のレギュラーメンバー。73年に真打昇進。2007年、親子ダブル襲名により林家木久扇を襲名。落語協会相談役。俳人協会会員。鯨の食文化を守る会副理事。出囃子は「宮さん宮さん」。持ちネタは「彦六伝」「目黒のさんま」「湯屋番」「鮑のし」など。著書に「林家木久扇のみんなが元気になる学校寄席」絵本「ラーメンてんぐ」「親馬鹿力のおかげです」「木久蔵一代 バカの中身」「キクゾーのチャンバラ大全」など。