三国志ファンなら絶対見たい!幻の歌舞伎十八番の一つ「関羽」とはいったいどんな物語なのか?
歌舞伎十八番と言えば「暫(しばらく)」「勧進帳(かんじんちょう)」「助六(すけろく)」で有名ですが、十八番と言うからには他にも十五番がある訳で、そのリストはこのようになっています。
歌舞伎十八番「押戻シ」で青竹五郎を演じる市川團十郎。Wikipediaより。
「外郎売(ういろううり)」
「嫐(うわなり)」
「押戻(おしもどし)」
「景清(かげきよ)」
「鎌髭(かまひげ)」
「関羽(かんう)」
「解脱(げだつ)」
「毛抜(けぬき)」
「蛇柳(じゃやなぎ)」
「象引(ぞうひき)」
「七つ面(ななつめん)」
「鳴神(なるかみ)」
「不動(ふどう)」
「不破(ふわ)」
「矢の根(やのね)」
タイトルでだいたい想像できるものから「なんだこりゃ」なものまで様々ですが、この中で「外郎売」「景清」「毛抜」「鳴神」「矢の根」は時おり上演されるものの、残った十番についてはほとんど上演されないどころか、内容もあやふやになってしまっているそうです。
今回はそんな幻となった?歌舞伎十八番の一つ「関羽」について紹介したいと思います。
歌舞伎十八番「関羽」について正式な外題(タイトル)は「閏月仁景清(うるうづき ににんかげきよ)」で、初演は元文二1737年11月。市川團十郎(いちかわ だんじゅうろう。二代目)が得意とした演目とされています。
【あらすじ】
時は鎌倉、頼朝(よりとも)公の弟である三河守範頼(みかわのかみ のりより)が兄から将軍の座を狙おうと企んでおり、それを知った平景清(たいらの かげきよ)はその野望を阻止するべく、『三国志(さんごくし)』の豪傑・張飛(ちょうひ)に扮して駆けつけます。
すると、向こうから張飛の義兄弟である関羽(かんう)に扮した御家人・畠山重忠(はたけやま しげただ)がやって来たので、二人は力を合わせて範頼の館へ乗り込み、大立ち回りの末に範頼の野望を阻止したのでした……めでたしめでたし。
【見どころ】
美髯公(びぜんこう。美しいヒゲの主)という二つ名を持つ関羽が、自慢のヒゲをしごきながら見得を切る「関羽見得(かんうみえ)」をはじめ、関羽のトレードマークである青龍偃月刀(せいりゅうえんげつとう)や愛馬・赤兎馬(せきとば。三国志に登場する名馬)に騎乗した唐装束(からしょうぞく。ここでは大陸風の武装)のいでたちなど、日本の武士とは趣を異にするインパクトがあったそうです。
ちなみに、景清の扮した張飛はハリネズミのようなヒゲと、穂先が蛇のようにうねった蛇矛(だぼう)がトレードマーク、関羽と並んで両雄とも『三国志』ファンにはたまらない?好演が目に浮かびます。
一方、ツッコミどころもさて、この演目は「範頼が頼朝公から謀叛を疑われて失脚」した史実が元ネタとなっていますが、それ以外はほぼフィクションです。
まず、最初に範頼の野心を阻止しようと張飛に扮した平景清ですが、その姓からも察しがつく通り、彼は平家方の武将です。
壇ノ浦の戦いで捕らわれてからは主君への忠義を全うするため、「源氏の施しは受けぬ」とばかり絶食、そのまま餓死してしまいました。
そんな「アンチ源氏」の景清ですから、源氏の内乱は大歓迎、その場に生きていればむしろ範頼をそそのかす側に回っていたかも知れません。
まぁ忠義一徹・公明正大で知られた畠山重忠なら、もし範頼の企みを知っていれば間違いなく止めたでしょうが、重忠ならわざわざ関羽のコスプレなんかしなくても、むしろ「畠山重忠」の方が当時の御家人たちにとっては大きなネームバリューだった筈です。
※もっとも、それは景清についても同様で、敵の錣(しころ。兜の部品)を引きちぎるほどの勇猛さから悪七兵衛(あくしちびょうゑ)の異名をとったほどの豪傑でした。
終わりにそんな設定の“荒唐無稽“感もあってか「どうだ!三国志だ!関羽と張飛の揃い踏みだぞ!」というノリと勢いだけではあまり人気も出なかったと見えて、興行成績は振るわず、いつしか忘れ去られていったようです。
しかし、せっかく市川團十郎が始めた「関羽」をそのまま風化させてなるものか、と大正時代に市川左團次(いちかわ さだんじ。二代目)が、そして昭和六十1985年に尾上松緑(おのえ しょうろく。二代目)が復活上演を果たしています。
その後、再び「関羽」が上演されたという話は寡聞にして知りませんが、三国志ファンの一人として、いつかその熱演を拝ませて頂きたいものです。
※参考:
河竹繁俊・児玉竜一『歌舞伎十八番集』講談社学術文庫、2019年9月12日
十二代目 市川團十郎『新版 歌舞伎十八番』世界文化社、2013年9月14日
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