織田信長の残虐性を表す逸話「比叡山焼き討ち」実はそんなに酷い被害を被ったわけではなかった? (2/3ページ)

Japaaan

そんな有様を見た信長は、比叡山の麓にある坂本という町の襲撃を決断。坂本は比叡山を降りた僧侶たちが仏教の教えを盾に住民たちを支配しており、信長はそんな僧侶たちを虐殺し、建物に火をつけたのでしょう。

信長としては、反逆者を成敗するという見せしめの行為だったのが、話が広まるにつれ尾ひれがつき、大げさになっていたのだと考えられます。つまり、比叡山の焼き討ちは確かに存在しましたが、従来言われていたものよりずっと小規模なものだったのです。

さらに、比叡山延暦寺にとって武士との抗争は信長が初めてではなく、信長の前に過去に2回も武士の攻撃にあい、主要な建物が焼失する事件が発生しています。

延暦寺を最初に攻略し、支配しようとしたのが室町幕府の6代将軍・足利義教(よしのり)。また、1499年になると、今度は室町幕府の管領(将軍の補佐役)・細川政元によって焼き討ちされる事件が発生します。

かつて比叡山は多くの僧兵を抱える武装勢力でもあり、桓武天皇から信奉された開祖・最澄(さいちょう)や、その後に続いた名僧たちの威光をもって、朝廷や幕府の政治に影響を与えられるだけの力を持った世俗権力を誇っていたのです。

根本中堂と回廊(Wikipediaより)

信長によって焼き討ちがなされた延暦寺ですが、信長は焼き討ちの後、再建も許さなかったため、その後しばらくの間は延暦寺は荒廃した状態で放置されることになりました。

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