織田信長の残虐性を表す逸話「比叡山焼き討ち」実はそんなに酷い被害を被ったわけではなかった? (3/3ページ)
その後、延暦寺の僧たちは、信長に代わって天下人となった豊臣秀吉や、徳川家康に接近しながら、武士との関係を改善していくことになります。そうしてようやく徳川幕府の3代将軍・家光によって根本中堂の再建が許されました。江戸幕府はでは寺院を全て幕府の統制下に置き、好き勝手できないよう制御したため、以後の延暦寺は次第に影響力を弱めていきました。
参考:
兼康保明「織田信長比叡山焼打ちの考古学的再検討」(1981 『滋賀考古学論叢』第1集) 比叡山延暦寺/公式ホームページ日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan