巨人のレジェンド長嶋茂雄と王貞治、1964年の「週刊大衆」感動インタビュー

日刊大衆

写真はイメージです
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 まだ20代だったONが『週刊大衆』で本音を激白していた! 貴重すぎる発言の数々をプレイバック!!

 今から56年前――。前回の東京五輪があった1964年、のちに巨人の、いやプロ野球界のレジェンドとなる2人のインタビューが本誌に掲載された。長嶋茂雄巨人軍終身名誉監督(83)と、王貞治福岡ソフトバンクホークス球団会長(79)。若かりしONは、どんなことを考え、語っていたのか。ここで当時を知る関係者の証言を交えながら、発言を振り返ってみよう(文中一部=敬称略)。

 まずは、2人の所属する巨人軍について。この年は、長嶋が7年目、王が6年目のシーズンとなる。王は、巨人に入った理由を聞かれて、〈そりゃあ好きだったからですよ。プロに入るならジャイアンツと思ってましたからね〉と笑顔で回答。

 一方、巨人入団前に南海入りが有力視されていた長嶋は……、〈南海に入るとは一度も言わなかったですよ。巨人が好きだったというより東京に住みたかったというのが、巨人を選んだ実感ですよ〉と本音をポロリ。巨人入りが東京への憧れだったとは、なかなか“ミスター”らしい。

 しかし、質問が野球のことになるにつれ、長嶋の表情は真剣になっていく。常勝を求められるチームで戦うことについて、〈プロの選手なら、負けることに慣れるなんてありっこないです。でも、常に優勝しなければならぬ宿命を、巨人という老舗だから背負うのなら、これはいいことだと思う〉とキッパリ言い切り、自身が前年惜しくも二冠に終わり、三冠王を逃したことに対しても、〈気力もあったし、調子も悪くはなかった。やっぱり力が足りないんです。まだ、チャンスはありますよ〉と、熱く意気込みを口にしていた。

 当時、まだ23歳だった王のほうは、〈(ホームランを打つと)スカーッとして爽快だねぇ。何もかも忘れちまう〉と、あどけない一面を見せる一方で、〈(スランプのときは)頼るものなどないですね。僕らは自分だけが頼り〉〈(プロの厳しさとは)自分ひとりだということでしょ。人をあてにできませんから。良くても悪くてもやらなくちゃいけないし……〉と、プロ野球選手としての覚悟を吐露。さらには、〈勝負の世界に武士の情なんてない。……試合が終わってからなら別だけどね〉と、勝負師の顔を覗かせていた。ちなみに、前年に長嶋が獲れなかった残りの一冠、それは王が獲得したホームラン王だった。

 一本足打法が完成し、スラッガーとして頭角を現していた王にとって、長嶋は大先輩であると同時に、ライバルでもあった。〈チョウさんは非常に充実してますよね。精神面でも技術面でも……。僕ら、やっている以上、負けたと思っちゃおしまいだからね。そういう相手がいるからこそ頑張るんです〉と、王は長嶋への静かな闘志を語っている。

 2人をよく知り、巨人のチームメートでもあった野球評論家の黒江透修氏は、当時のONをこう振り返る。「俺はこの年に入団したんだけど、ミスターはすでにスターで、一目置かれる存在だった。王も俺らと同じように“偉大な先輩”と思っていたんじゃないかな」

■美女優との婚約が報じられたことも

 そんな距離感は、2人を特別な存在にした。「王さんにしてみれば、ミスターは仰ぎ見るような先輩。でも、ミスターにとって王さんは“かわいい後輩”でした。つまり、ONはいい意味で対等じゃなかったんです。だからこそ友情が成立し、ONという英雄が並び立てたんでしょう」(当時を知る元番記者)

 なお、この年のシーズン、王は打点と本塁打の二冠王に輝き、それまでの自己最高となる成績を残している。「親しい知人が王さんに、現役時代で一番心に残るシーズンを聞いたとき、“64年”と答えたそうです。その理由は、“すべての部門で長嶋さんを上回れたから”。王さんにとって、長嶋さんはとてつもなく大きな存在だったことが分かります」(球界関係者)

 偉大な先輩と、やっと肩を並べられる選手になった。64年は、“世界の王”が生まれた年だったと言えるかもしれない。

 さて、まだ若かりし2人は、恋愛に関しても告白している。スーパースターだった長嶋は、当時さまざまな有名人との恋の噂が、世間をにぎわせていた。59年には、「会ったこともない」という、女優の司葉子との婚約が報じられたこともある。〈あのときは、驚いたですよ。もっともあんな美人とウワサを立てられたっていうんで、あの日は楽しかったですがね〉

 マスコミに何かと書かれることに対しては、達観していたようだ。〈相手の女性の方に迷惑千万な話です。僕みたいな男とヘンな噂なんかたてられて……。(ゴシップ報道は)面白いですよ。僕が会ったこともない人と、隠れてデートしていたり……。なにか映画でも見ているような感じですね〉

 さて、実際の恋愛事情に関してはというと、こんな言葉を残している。〈どうも、僕は恋愛なんてできないんですよ。ガラじゃないんだな。でも、結婚するとしたら見合いから結婚――やっぱりそのコースがいいんじゃないかな〉

■大会コンパニオンとの座談会で

 だが、この発言は見事に裏切られる。まさにこの64年、長嶋は、生涯の伴侶となる女性と出会うのだ。「“世紀の結婚”と日本中を沸かせたミスターと西村亜希子さんのカップル。これは、まさに東京五輪が取り持った“縁”でした」(前出の元番記者)

 この年の五輪期間中、報知新聞で、『ON五輪をゆく』という連載企画が紙面を飾ることになった。「開会式から閉会式まで、ONが連日、各競技を取材するという企画。異色の内容は、かなり評判だったようです」(前同)

 そして大会8日目。この日は趣向を変え、競技ではなく、大会コンパニオンとの座談会が設けられた。「ONとの座談会に参加した5人のコンパニオンの中に、西村亜希子さんがいたんです。彼女は、モロッコのIOC委員夫妻の担当で、他にもイタリア、チェコの委員も受け持っていました」(同)

 亜希子さんは、英語、フランス語、スペイン語が堪能。記事の中には、「日本語を入れて4か国語もしゃべれるのはすごい」と、王が思わず感心する一幕もあった。「この座談会で、ミスターは亜希子さんに一目惚れ。同席していた記者に、連絡先を聞いてくれるように、しつこく頼んだといいます」(同)

 その行動力は、“恋愛はガラじゃない”と語っていた人物とは思えない。「ミスターは、五輪が終わるのを待ってから亜希子さんに電話したそうです。デートにこぎつけるまでにはそれなりに時間がかかり、ミスターは珍しくそわそわしていたとか(笑)」(同)

 同年11月26日、キューピッドとなった報知新聞が2人の婚約をスクープ。出会って40日という超スピード婚約劇で、世間は驚きに包まれた。「王さんはミスターの婚約フィーバーを見て“僕のときは抜け駆けさせないよ”と、担当記者連中に話していたとか。実際、66年に婚約した際、有言実行でどこにもスクープさせず、平等に記者会見を開きました」(元スポーツ紙記者)

■映画みたいな恋愛もしてみたい

 そんな王だが、インタビューでは、23歳の若者らしい恋愛観も披露。結婚の時期はいつ頃かという質問に、〈今全然考えてませんね。少なくとも今年中は結婚しませんよ。……どんなタイプと言われてもねぇ。まあやっぱり白紙だな〉と、そっけなく答えながらも、本心がチラリ。〈そりゃね、映画みたいに熱烈な恋愛もしてみたいですよ。しかし、そんなヒマないですからねぇ〉

 そして時は移って、2020年。ONはそれぞれの立場で、東京五輪を迎えることになる。王は、組織委員会理事として、東京五輪の運営に参画している。「東京五輪後、野球は正式競技から外れます。王さんは“野球が復活する下地を作ってもらいたい”と、今大会での侍ジャパンの活躍を非常に期待している。WBCで日の丸を背負って戦っただけに、国際舞台への思いは人一倍強いようです」(スポーツ紙デスク)

 また、長嶋は、かつてアテネ五輪代表監督に就任しながら、病のため、本戦で指揮が執れなかったという悔しい経験をしている。「その後、北京五輪の代表監督の打診を受けましたが、家族と読売グループの強い反対を受け、幻に終わっています」(球団関係者)

 代表監督を二度も諦めざるをえなかった――。そんな長嶋の五輪への思いは、誰よりも強い。「現在、自宅療養中ではありますが、思いが募って会場に足を運ぶかもしれませんね」(球団関係者)

 ONが東京五輪で並び立つ日を期待したい。

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