虚無僧が何故おしゃれ?江戸時代にあったファッションとしての虚無僧スタイル!鈴木春信の魅力 その5 パート2 (2/5ページ)
そしてもちろん女子二人が自分を見ているのをわかっていながら、あらぬ方向を眺めてすましています。さも“格好いいだろう俺って”と言わんばかりのチャラいやさ男。
しかし何故この“虚無僧スタイル”が格好いいと万人受けしたのでしょうか。
この絵暦が描かれた江戸時代、歌舞伎や文楽は町衆の娯楽として隆盛を極めていました。歌舞伎に関して言えば江戸の町には大きい官許の芝居小屋が3つありました。
歌舞伎も文楽も演目は“客受け”するもの、その時代の“人々が求めているもの”を作り上演していました。それが江戸のトレンドを作りだしていったのです。
それでは「虚無僧」が登場する歌舞伎の演目で、大人気を博した演目をいくつかご紹介します。
仮名手本忠臣蔵歌舞伎の数ある演目の中でもひときわ脚光を浴びたのが“『仮名手本忠臣蔵』でした。
元禄14年(1701年)3月、江戸城内の松の廊下で、播磨国赤穂藩(現・兵庫県赤穂市)藩主の浅野内匠頭が、幕府での役職にある吉良上野介を斬りつけるという騒ぎが起こりました。
当時、江戸城内での刃傷沙汰はご法度。徳川綱吉は浅野内匠頭に切腹を命じ、赤穂藩を取りつぶしましたが、上野介はおとがめなしでした。
当時は「喧嘩両成敗」が当たり前だったため、不満を持った浅野家家臣たちは「仇討ち」を計画したのです。 そして、元禄15年(1702年)12月14日、家臣47人は吉良屋敷で上野介を殺害し、後世に史実を伝えるために逃がされた1人を除いた46人は翌年に切腹したという「赤穂浪士の討ち入り事件」です。
この事件が江戸庶民の間で話題となり、歌舞伎や文楽で次々に上演され、爆発的なヒット作品となりました。今でさえ12月になれば「忠臣蔵」として、ドラマや映画で描かれるほどの作品です。
『仮名手本忠臣蔵』は十一段の話で構成されていますが、その九段目“山科の雪転がし”という段で虚無僧が登場します。加古川本蔵という人物です。袈裟懸け姿で天蓋を持ち、尺八を携えています。