三船敏郎や勝新太郎、王貞治…超BIGスター「男どまんなか発言」

日刊大衆

写真はイメージです
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 コンプライアンスやら、ブランディングやらの感覚のない時代、大物スターたちは、男性誌である本誌の取材に“オトコの本音”を打ち明けていた!

 映画界に君臨した大スターに、球史に残る超大物プレーヤー……超豪華メンバーが、本誌だけに語った驚きの真実、まさかの本音を、ここに紹介しよう。

 かつて、日本映画界では、各映画会社がそれぞれ、主軸となる専属スターを抱えていた。 たとえば、東宝の金看板は、黒澤明監督作品に欠かせない“世界のミフネ”三船敏郎(享年77)だ。本誌は、63年8月29日号で、この大俳優に迫った。「前年には、『椿三十郎』、その年の春には『天国と地獄』が公開。まさに脂がのりきっていた頃。また、三船プロを設立し、独立に乗り出した時期でもあります」(映画ライター)

 当時、映画界に“三船は酒に酔うと、いつも、黒澤明邸の周りをグルグル歩いている”という、まことしやかな噂が流れていた。「宣伝部が作った話だ。オレはいっぺんも、そんなことはしたことないよ。(中略)オレの酒はおとなしいんだ」

 酒の話が続く。この時代はまだ、女性が酒を飲むことに賛否が大きく分かれていた。三船は肯定派だった。「嫌いじゃないさ。とくにこっちが下心なんかあれば、楽しいさ。そんなときは、“もっと飲め”って飲ましちゃうな。少しの酒で、ほんのり酔っている女なんていいね」

 一方、嫌いなタイプのオンナもはっきりしている。「話が長くなりそうだったり、しつこそうな相手には最初から敬遠しちゃうから」

 東宝の喜劇を支えた植木等(享年80)は、64年7月2日号で本誌のインタビュー取材を受けている。「植木さんは、無責任でいい加減な男の役を十八番としていますが、実像は極めて真面目な人物だというのは有名な話です」(前出の映画ライター)

 37歳の植木に、記者は「据え膳は食うべきかどうか?」という、いかにも本誌らしい質問をぶつけている。「据え膳ねえ。据え膳食わぬは男の恥って、昔から言うからね。やっぱり戴くべきじゃないか。だけど、時と場所を考えるべきだろうな。据え膳だって、食い過ぎは腹、壊すから」

 無責任男の正体は常識人であった。

 時代劇に強い大映で、市川雷蔵と二本柱を形成したのが勝新太郎(享年65)だ。『座頭市』シリーズが好調だった63年のインタビューで、結婚2年目の愛妻をのろけた(4月13日号)。「恐妻家か?」と質問されると、こんな返答が。「恐妻じゃないな。玉緒が実家に帰らしてもらうと言ったら、本当にあやまっちまう……そうなったらオレも恐妻家か」

 中村玉緒夫人を家では、なんと呼んでいたのか?「今でも“玉緒ちゃん”だ。なにしろ、いまだに恋人同士でございますから……」

 そういって頭をかいた、当時31歳の勝新だった。また、「一番、ハラが立つものは?」との質問への答えは、こうだ。「自分だよ。石橋を叩いて渡るくせに、後悔するんだから。だいたい、定期的に自分にハラが立つ」

 亡き勝新は、太っ腹で豪快なイメージがある反面、ナイーブでデリケートな人でもあったのだ。

■高倉健や石原裕次郎も

 東映の大スター・高倉健(享年83)の本音は、63年10月24日号に掲載された。この時点で健さんは32歳。俳優としてのキャリアは、10年にすぎなかった。「10年たって、まだ、これだけかっていう反省だけが残ります」

 健さんは若き日から、いたって謙虚なのである。「63年といえば、東映任侠路線の第1作『人生劇場 飛車角』の公開年。つまり、健さんが任侠スターとして地位を確立する前夜なんです。また、江利チエミさんと幸せな結婚生活を送っていた頃でもあります」(映画ライター)

 64年1月26日号では、日活の大エース・石原裕次郎(享年52)のインタビューに成功。 モテモテの裕次郎には、迫ってくるオンナの中に、当然、お断りしたくなるタイプがいた。「しつこい女、やたらおしゃべりな女、汗臭い女、ストッキングの後ろの線がひん曲がっている女……これ以上いうと、女性を侮辱することになっちゃうから、これくらいでカンベンしてください」

 最後に、きちんとフォローを入れるあたりがニクい。逆に“色っぽいと思う女”について、こう答えた。「恥じらいなんていうのは最高だね。これは日本独特でしょう」

 “女らしい女のタイプは”「内緒だけどね、これはウチのカミさんなんだ」

 最後に、妻の北原三枝を持ち上げる模範解答に脱帽である。「前年、石原プロを設立し、映画製作者としての道を歩み始めていた裕次郎さんはまだ29歳。何から何までスケールが違うのでしょう」(映画雑誌編集者)

 裕次郎と同じく日活出身の“マイトガイ”小林旭(81)の本誌登場は、意外にも平成になってから。約14年ぶりの主演映画『修羅の伝説』の宣伝を兼ねて、美川憲一と対談をしている(92年1月27日号)。「久しぶりに主演なさって、現場はどうでしたか?」と美川に問われると、肩を落として答えた。「がっかりしたことはたくさんあるよ。昔だったら、“バカヤロウ!”と言われて蹴っ飛ばされるようなことが、今じゃ当たり前で通っちゃうわけだよ」

 かつての日活や、東映移籍後の『仁義なき戦い』シリーズの撮影現場に比べると、なんとも生ぬるいものだったようだ。美川に夜遊びについての質問をされると、「今は面白くない」「オンナもガキばっかり」と嘆き、往年の銀座を懐かしむ。「昔は絶対やらせないやつは、どこまでいってもやらせない。そういう女がいたわけさ。(中略)それを、なんとか口説いて落とした日の喜びというのは、言葉にならないものだった。それで、クラブに通ったわけだよ」

 これぞ、昭和の映画スターなのだろう。

■プロ野球選手、張本勲はよく遊び…

 昭和の時代は、プロ野球選手もよく遊んでいた。張本勲(79)は、日ハム(前身は東映フライヤーズ)時代に登場した(75年7月14日号)。「銀座は男のオアシス」と豪語。また、銀座に限らず、各地の盛り場でバットをフルスイングしているという“アッパレ”な生活を告白しているのだ。「松方弘樹は800人を斬っているというけど(中略)顔じゃ負けるけど、遊びと内容じゃ負けない。800人どころじゃない」

 張本はこの年のオフに、巨人に移籍。そこでOH砲を組むことになる王貞治(79)は、25歳だった66年3月24日号で、作家の寺内大吉と対談した。時期的に宮崎キャンプの話題に。寺内は「宮崎のネオン街にも、ずいぶんおなじみさんができたでしょう」と冷やかした。すると、若き日の王は、頭をかきながら答える。「いやあ……そうでもないです。だいたい遊ばないほうですよ、ぼくは。ぼくばかりではなく、ジャイアンツの連中は、あんまり外へ出ないじゃないですか」

 当時、婚約中だったこともあってか、やんわりと否定した。あくまで、あまり夜遊びはしないと強調する。

 ところが……その王に続く球界2人目の国民栄誉賞受賞者“鉄人”衣笠祥雄(享年71)が、それを否定してみせた(91年1月28日号)。44歳の衣笠も古き良き銀座を振り返り、こう言った。「昔は王さんも凄すごかったし、柴田(勲)さんも凄かったね。銀座というとジャイアンツの選手が多かったですね」

 ワンちゃんは、本当のことは言わない策士だった!?

 王を豪球で苦しめ、衣笠と広島で一緒にプレーした江夏豊(71)は、95年9月4日号で、プロ野球選手からタレントに転向したパンチ佐藤と対談した。“今の選手はマスコミの目を気にして遊ばない”というパンチに、江夏はうれしそうに話したのだった。「衣笠なんか気も合ったし、国民栄誉賞とかエラいもんもらったけど、そうやな、遊びのほうも好きだったな」

 パンチの恩師にあたるのが、オリックス時代の監督 ・仰木彬(享年70)だ。「仰木さんは、現役時代は豪傑ぞろいだった西鉄ライオンズの一員。相当の遊び人だったとか。それが、野茂英雄イチローからも尊敬される名将になるのだから面白い」(スポーツ紙記者)

 パンチから、自分に戦力外通告をした理由を聞かれると、当時59歳の仰木はデッドボールを受けたパンチが倒れて動かなくなったときの話を始めた(95年1月16日号)。「球場内がシーンと静まり返ると、なんや突然立ち上がって全力で走り出した。(中略)あのときのタイミングと場内の爆笑を聞いたとき、この男、野球なんかさせとくのもったいない。自分のキャラクターで勝負できる世界のほうが向いとる。こうひらめいたわけや」

 野球選手としてはイマイチながら、芸能活動が順調のパンチは、仰木にひれ伏すのみだった。

■あの大物の爆弾発言も

 昨年他界した金田正一(享年86)は、国鉄スワローズ時代の64年9月3日号で、本誌の取材を受けてくれた。のちの400勝投手の貫禄に飲み込まれたのか、当時の本誌記者は、きわどいネタを避け、「女性への愛情表現は?」と甘い質問をしている。「わしは、そんなロマンチックな男やない。好きは好きで、嫌いは嫌いや。しかし、嫌いなときは黙っとる」と、一刀両断だった。

 95年6月19日号では、あの大物の爆弾発言もあった。ボクシングの元WBC世界ライト級王者のガッツ石松(70)もパンチ佐藤と対談したのだ。スポーツ界から芸能界に入った先輩として、“何事も経験が大事だ”と指南。

 このパンチの連載対談のゲストの中で、もう一人強烈だったのが、総合格闘技ブームの礎を築いた“格闘王”前田日明(60)だ。96年4月15日号で、パンチに、“六本木で不良外国人数名に絡まれて、大立ち回りした”という噂を突っ込まれると。「先に手を出したほうが勝ちだと思ったから。膝を入れ、肘打ちくらわせて蹴り入れたら、それが顎に入ったみたいで、折れたんじゃないかな。(中略)ナイフ持ち出したヤツがいたから、横にあった便所のモップで顔を突いたんだよ」

 不良外国人たちも、絡む相手が悪すぎた……。「もう一人を蹴り上げたら、靴の先が口の中にすっぽり入って、歯がポロポロと折れて」

 テレビ界のスター・志村けん(69)は、97年1月27日号で川合俊一と対談。色恋について聞かれると、テレビでは話せない秘密を告白。「女とは結構、一緒に住んでたの。いいじゃない。好きな子と一緒に住むのって。それに恋してるときって、いいコント書いていられるんだよね(中略)ところが1年、2年とベタベタしていると、やっぱり飽きてきちゃうわけ」

 志村がいつまでも独身でいる理由は、これだった!?

 今の若いスターにはない彼らの豪快さと大胆さ。なんとも魅力的だ。

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