天皇陛下が来られるって!天皇のお出まし「行幸」は、地名さえ変える影響力大の一大イベント (2/4ページ)

Japaaan

『御行幸次第』 寛永年間

明治政府は京都などからの反発をおそれ混乱を避けるため、都を東京に移すことに明確に宣言しませんでした。そのことが尾を引いて、実は今でも首都の場所は法律で明文化されていないのです。

ですので、たびたび首都を関西に移すという議題が持ち上がるのは、今でも「天皇陛下は行幸で東京に立ち寄っているだけ」という風潮が残っているためではないかと思われます。

大涌谷は「地獄」だった

箱根の観光名所、大涌谷。かつてここは硫黄臭の立ち込めるガスが噴出し、その様相から「地獄谷」または「大地獄」と呼ばれていました。しかし、1873年(明治6年)8月5日の行幸の折、天皇陛下がこられる場所に「地獄」は相応しくないということで、「大涌谷」と呼称を変えました。

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