天皇陛下が来られるって!天皇のお出まし「行幸」は、地名さえ変える影響力大の一大イベント (4/4ページ)

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陸軍士官学校は、1945(昭和20)年に長野県佐久市に疎開し、そのまま終戦を迎え閉校となりましたが、その5年後に米陸軍が設置され、いまも知られる「キャンプ座間」と呼ばれるようになります。

ちなみに演習場の視察でついた地名は他にもあり、千葉県の習志野が知られています。明治6年(1873)、大和田原(現・千葉県船橋市習志野台から高根台周辺)で明治天皇御覧の下で陸軍による演習が行われ、後にその地は「習志野原」と命名され、正式に陸軍の演習場となりました。

聞き間違いからついた名前「夏見」

千葉県船橋市の夏見に伝わる伝説です。

夏見は平安時代に伊勢神宮に寄進された荘園の一部で、夏見御厨(なつみみくりや)と呼ばれました。伊勢から遠い千葉の地に、荘園があったことが驚きですね。

この地には古い伝承が二つあり、一つは「日本武尊が東夷征伐のおり、この地で神鏡の輝く船を見たのが夏だった」というものと、「景行天皇(日本武尊の父)が行幸した時、菜摘みをしていた里人に地名を尋ねたが都の言葉が分からず、いま菜を摘んでいます、と答えた」というものです。

景行天皇は日本書紀に登場する古代の天皇ですので、その信憑性のほどはわかりませんが、伊勢神宮の創建が景行天皇の父親である垂仁天皇の時代ですので、伊勢神宮の荘園となる地までこられたとしても、おかしくないのかもしれません。

下町からの美幸町へ

御幸町はもともとは「下町」という名前でしたが、大正天皇が大正元年(1912年)に所沢飛行場での陸軍大演習の閲兵のため行幸した記念に、大正4年(1915年)に改称されました。

下町からはだいぶ印象が変わりますね。ちなみに他にも、「寿町・宮本町・有楽町」などが誕生しています。

いかがでしたか?全国各地に御幸町や行幸通りなどありますので、ご自分の地域も一度見直してみてはいかがでしょうか。

参考文献:『江戸が東京になった日―明治二年の東京遷都』 (講談社選書メチエ)、『封印された 東京の謎』
小川裕夫、『地名の社会学』今尾恵介

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