歴代総理の胆力「佐藤栄作」(1)佐藤の異名でもあった「黙々栄作」 (2/2ページ)
その後、大統領がニクソンに代わったあとの44年5月、ニクソンとの間で返還後に残す沖縄米軍基地の機能を、「核抜き・本土並み」と確認した。その上で、その年の11月佐藤・ニクソン会談ですでに返還されていた小笠原諸島に次ぐ沖縄の「昭和47年」返還が共同声明に盛られるという形で返還実現に至ったということだった。
米国ワシントンにおける返還式典当日は、東京との間でテレビの二元中継となり、ニクソンと並ぶ佐藤の晴れがましい姿が東京でのテレビ画面で見られたものだった。ちなみに、この返還、振り返って吉田茂が講和条約であえて返還に踏み込まずに「現状凍結」とした布石が、のちに愛弟子・佐藤のもとで生きたということでもあった。吉田のその後の日米関係の推移をにらんだ読み、洞察力が、返還への道筋をつくったと言えたのである。
■佐藤栄作の略歴
明治34(1901)年3月27日、山口県生まれ。東京帝国大学法学部卒業後、鉄道省入省。ノーバッジで第2次吉田内閣官房長官。昭和39(1964)年11月第一次内閣組織。総理就任時63歳。沖縄返還協定調印。昭和50(1975)年6月3日、脳卒中で死去。享年74。
総理大臣歴:第61~63代 1964年11月9日~1972年7月7日
小林吉弥(こばやし・きちや)政治評論家。昭和16年(1941)8月26日、東京都生まれ。永田町取材歴50年を通じて抜群の確度を誇る政局分析や選挙分析には定評がある。田中角栄人物研究の第一人者で、著書多数。