江戸浅草が発祥!?福にあやかれ、信ぴょう性の高い「招き猫」発祥の伝説 (2/2ページ)
今戸焼を焼く窯を眺めるさまを描く。
江戸自慢三十六興「今戸焼物」:豊国,広重(国立国会図書館より)
招き猫発祥を名乗っている場所は全国各地にありますが、東京の地誌を徳川家康が入城した天正18年から明治6年まで記した『武江年表』(ぶこうねんぴょう)や、須藤由蔵という町人が記した『藤岡屋日記』に招き猫の記述がありますので、浅草で招き猫が売られていたことは間違いないようです。
左上に丸〆の文字と丸〆猫が描かれています。 浄瑠理町繁花の圖:歌川 広重(嘉永5 [1852])(国立国会図書館より)
当時は「金銭や福徳を丸く勢〆ると」という縁起担ぎで、後ろの腰辺りに「丸に〆」の陽刻がされていたため、丸〆猫(まるしめのねこ)とも呼ばれていたということです。
現在も今戸焼の名の名残は浅草の今戸神社にありますので、縁結びもかねて立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan
