江戸浅草が発祥!?福にあやかれ、信ぴょう性の高い「招き猫」発祥の伝説

Japaaan

江戸浅草が発祥!?福にあやかれ、信ぴょう性の高い「招き猫」発祥の伝説

商いをやっていないとはいえ、お正月に縁起物として招き猫を買った人もいるかもしれませんね。あの愛らしいフォルム、飾っておくだけでも猫好きにはたまりません。

さて、招き猫と言えば世田谷区の豪徳寺が有名ですが、江戸浅草が発祥であるとの伝説もありますので、ご紹介します。

猫の像を歳の市で売り出したところ大繁盛

吉原の三浦屋という郭に薄雲という太夫がおり、大夫はある三毛猫をたいそう可愛がっていました。ある日、薄雲が厠へ行こうとするとその猫が裾を咬んで離しません。三浦屋の主人はそれを見て化け猫かと怪しみ、殺してしまいます。

猫の首ははねられたあと天井に飛んで行き、そこに潜んでいた大蛇に食らいついて殺します。猫はその大蛇から薄雲を守ろうとしていたのでした。それを知った三浦屋の主人は殺したことを悔やみ、西方寺という寺に供養して猫塚を築きます。

そして薄雲を贔屓にしていた日本橋の唐物屋が、悲しむ薄雲のために猫を象った像を贈ります。そしてその写しを徳の高い猫という触れ込みで歳の市で売り出したところ、大繁盛。これが招き猫の由来だということです。

現在、猫塚は関東大震災でつぶれてしまい、西方寺自体も東京豊島区に移ってしまいましたが、招き猫の像はそちらに安置されているそうです。

また、浅草には別の伝説があります。

ある老婆が貧しさゆえに愛猫を手放しましたが、夢枕にその猫がたち「自分の姿を人形にすれば福が授かる」と伝えます。老婆は猫の姿を浅草名物の今戸焼に象り、現在の浅草神社(三社様)の脇で売りだしたところ、たちまち評判になったということです。

今戸焼を焼く窯を眺めるさまを描く。
江戸自慢三十六興「今戸焼物」:豊国,広重(国立国会図書館より)

招き猫発祥を名乗っている場所は全国各地にありますが、東京の地誌を徳川家康が入城した天正18年から明治6年まで記した『武江年表』(ぶこうねんぴょう)や、須藤由蔵という町人が記した『藤岡屋日記』に招き猫の記述がありますので、浅草で招き猫が売られていたことは間違いないようです。

左上に丸〆の文字と丸〆猫が描かれています。 浄瑠理町繁花の圖:歌川 広重(嘉永5 [1852])(国立国会図書館より)

当時は「金銭や福徳を丸く勢〆ると」という縁起担ぎで、後ろの腰辺りに「丸に〆」の陽刻がされていたため、丸〆猫(まるしめのねこ)とも呼ばれていたということです。

現在も今戸焼の名の名残は浅草の今戸神社にありますので、縁結びもかねて立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

「江戸浅草が発祥!?福にあやかれ、信ぴょう性の高い「招き猫」発祥の伝説」のページです。デイリーニュースオンラインは、伝承招き猫浅草カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る

人気キーワード一覧