鹿のため死刑になった逸話も。奈良の鹿って誰が管理してるの?あまりにも当たり前の光景で… (2/3ページ)

Japaaan

ただこの話は元禄時代に近松門左衛門が浄瑠璃「石子詰めの三作」として創作し、世に知られるようになります。

また、江戸時代は鹿を死なせると処罰されたため、奈良の人たちは朝起きると玄関前に鹿の死骸がないか確認したそうです。それが自然死であっても、お役人に咎められたら大変!

ということで、死骸があれば別の場所に移動させたそうです。

鹿の角きり

10月になると鹿の角きりが行われます。逃げ回る鹿を追いかけ、角を切り落とす儀式ですが、テレビニュースで知っている方もいるでしょう。この角きりを行うのは「勢子」と呼ばれ、烏帽子をかぶり神官姿で登場します。

この行事ではデモンストレーションとして数回に数頭にしか行いませんが、裏ではすべての雄を麻酔で眠らせ、その間に切り落とすという大変な苦労をしているのです。

これは雄鹿同士の怪我防止のためでもあり、人間のためでもあって、江戸時代初期に奈良奉行の命で始まりました。

鹿寄せ

明治から始まった行事で、現在の鹿苑と呼ばれる公園ができた記念に行われたのが始まりだそう。職員がホルンで呼び寄せると、鹿達がわらわらと集まってきます。ちなみに鹿の通り道を「鹿道」と呼ぶそうです。鹿達も、やみくもに歩いているわけではないのですね。

鹿達は実は常時餌を与えられているわけではなく、公園内のどんぐりや芝などを食べてくらしているので、冬になるとこの鹿寄せで呼び寄せ、餌をあげることも目的なのだそう。ちなみに鹿がかたまって寝そべっている様子を「鹿だまり」といいます。夕方になるとどこからともなく集まりねぐらと化しています。夏だと、暑い日差しを避け寄り集まっていることがあるので、観光名物になっています。

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