監督の座を追われても不貞を全うした、野村克也さんの“純愛”略奪不倫?【芸能界“ドロ沼”不倫ファイル】 (2/2ページ)

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そして、この件で選手と兼任していた南海の監督の座はシーズン終了を待たず2試合を残して奪われたのだ。

 1978年1月、野村さんと本妻の離婚が成立すると、同年4月に2人は晴れて正式な夫婦に。沙知代さんの2人の連れ子を養子に迎えた。現役引退後は、野球評論家として解説業のかたわら、野球に関する著作を次々と発表。89年オフ以降は監督に就任し、監督通算1565勝は歴代5位。10年には楽天イーグルスの名誉監督に就任し、プロ野球界の名将と呼ばれた。

 夫を支え続ける一方で、沙知代さんは野村さんをさまざまな騒動に巻き込んだ。経歴詐称問題、女優・浅香光代とのミッチー・サッチー騒動、巨額の所得隠しによる有罪判決などの問題を起こしては責任を取る形で監督を退くこともあった。だが、野村さんは離婚を考えたことはなかったという。
 
 野村さんは、来世も沙知代さんと結婚するかという同誌のインタビューにおいて、「来世もめぐり合って結婚するでしょう。あんな猛獣とうまくやっていけるのは自分だけだという自負もある」と宣言していた。芸能界きっての“おしどり夫婦”として愛された夫妻。野球一筋で、大恋愛を貫いた野村さんの生涯には「我が人生に悔いなし」という言葉がぴったりではないだろうか。

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