田中角栄「怒涛の戦後史」(18)元自民党副総裁・金丸信(中) (2/3ページ)

週刊実話



「いざというときがあれば、俺はあんたと刺し違える覚悟だということを知っておいてくれ」

 政権をとってワガモノ顔で“独走”するようなことがあれば、いつでも“中曽根おろし”に動くことを明言したのである。

「シャバ」「親分」「刺し違える」など、政治家としてなんとも荒っぽいヤクザな言葉を操る金丸に、さかのぼって一度だけ、さすがの田中も目をむいたことがあった。

★「なんだ、金丸の野郎はッ」

 昭和55(1980)年5月、大平内閣での衆参ダブル選挙のさなか、金丸は自らの地元・山梨県甲府市で、突然「世代交代論」をブチ上げた。

「いまや政治を国民のものとするため、思いきった世代交代が必要だ。現在の派閥の長はすべて退き、派閥解消をやらねばならない。こうした私の考えに同調する仲間が、反主流派も含めて50人はいる。選挙後、私はこの人たちと行動を共にするつもりでいる」

 このとき金丸が「世代交代」の先頭に描いていたのが、「盟友」の竹下であることは、もとより田中も分かっている。

 田中は側近に、こう漏らしたのだった。

「なんだ、金丸の野郎はッ」

 しかし、結果的にこのときのダブル選挙で自民党が大勝したことで、田中はあえて金丸を“不問”に付した。だが、このときから、田中の中に「金丸、油断ならず」が強く意識されるようになったとされている。

 当時の田中と金丸の微妙な関係を、のちに田中派担当記者は次のように言っていた。

「田中は、煙たくなった金丸を衆院議長に祭り上げることを策した。しかし、田中の考えを知った金丸は、臆することなく田中とサシで会ってこう言ったそうだ。『オヤジ、私は“棚上げ”はご免ですな』と。

『闇将軍』の名をほしいままにした田中に対し、ひるむことなく単刀直入に返した金丸の言葉に、さすがの田中も二の句が継げなかったと言われている。

 このあたりを機に、永田町の『田中支配』に影が差し、『金丸支配』にジワリ動き始めたということだった」
 その『田中支配』に、ピリオドが打たれる日がやって来た。昭和60年2月、田中は脳梗塞で倒れ、以後は言葉を失い、同時に事実上、政治生命も失った。
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