『呪怨』『犬鳴村』清水崇監督「狭める力が強い思いと表現を生む」

日刊大衆

清水崇(撮影・弦巻勝)
清水崇(撮影・弦巻勝)

 人が家族の中で生きている限り、そこには血筋のDNAを含めて、逃れられない“因果”みたいなものがあると思うんです。この家系では男性が早死にするとか、女性に結婚運がないとか、なぜか兄弟の真ん中から亡くなっていくとか……。偶然のようだけど、偶然とも言い切れない「一致」があったりする。

 たとえば、僕の妹が子どもの頃、自分の部屋にオバケが出るから嫌だと怖がって、しばらく居間で寝ていたことがありました。当時、僕はバカにしていましたが、大人になってから、それとつながって腑に落ちる出来事があったんです。

 僕が敏感すぎるのかもしれませんが、十年も二十年も隔てて起こったことが、とても偶然とは思えなかった。そしてそこに、よくあるオバケと遭遇するようなものとはまた違う“怖さ” を感じたんですね。

 そんな折、映画『犬鳴村』のお話をいただきました。犬鳴村は、福岡に実在する心霊スポット。実際に凄惨な事件も起きていて、都市伝説化しているのは、以前から知っていました。そんな実在の場所を、ドキュメントではなく、オリジナルのドラマを入れた映画として描く。そこに、今話した“血筋”の話を絡ませられないかと思うに至りました。

 僕は、作品で恐怖を描くときに、いつも“日常”を大事にしています。今回で言えば、犬鳴村の話は、実在の場所とはいえ、福岡と縁のない人から見たら、どこか他人事だと思ってしまうかもしれない。外国が舞台の映画と一緒です。

 ただでさえ、ホラーは絵空事で片づけられるジャンル。だからこそ、「自分と同じだ」と観る人に感じてもらえるものが大切。親や友達との関係性や、日常生活の機微といった、誰もが共感できうるリアリティが、恐怖を生むと思うんですね。

■コンプライアンスでの規制が、自由な発想を狭めている。でも…

 僕が監督の仕事を始めて、20年以上がたちました。助監督時代は、先輩がすごく厳しくて、怒鳴る蹴るは当たり前。本当に何度も辞めようかと思いました。でも、僕が一番やりたいのは「映画を作ること」。だから、しがみつくしかなかった。ともに始めた周囲の仲間は辞めていきましたが、彼らは器用でした。バイト先でも、すぐ店長代理とかになれちゃう(笑)。僕は不器用だったから逆に続いたのかもしれません。

 その後、映画『呪怨』がヒットして、ハリウッドで僕が監督してリメイク版を作ることになりました。

 海外での仕事で感じるのは、日本と比べて“ゆとり”があるということ。たとえば、ハリウッドは、すごくビジネスライクです。お金を払えば、たいていの場所で撮影許可が取れるし、自分の仕事が終われば、監督や先輩の前でも平気で脚を組んでタバコを吹かしていたりする。キャストやスタッフも組合に守られていて、撮影時間がオーバーしても、ちゃんとその分のギャラが発生するし、オーバー分の時間も確保される。だから、みんな余裕があって、あくせく働いている感じがしないんです。

 その一方で、日本はいまだに根性論がまかり通っている縦社会。日本人の“遠慮の美学”と、個人の主張のバランスが取れていない気もします。でも、ビジネスライクに振り切らない良さもある。日本はお金で動かないことが、人間関係や信頼で動いたりする。日本のシステムだからこそ、作れるものもあります。

 昨今、表現者の立場からすると「コンプライアンス」がひとつの大きな課題です。そもそもコンプライアンスが何なのか、具体的にハッキリしていない。なのに、みんなすごく気にしている。コンプライアンスでの規制が、自由な発想を狭めている傾向は、実際感じることもあります。

 でも、「束縛があってこその表現」という側面もある。それはたぶん、どの時代でも同じだと思うんです。狭める力があるからこそ、「だったらこうしてやる!」という強い思いと新しい表現が生まれるし、それができないようでは、どのみち続かない。作る側としては、立ち向かう発想の豊かさが必要なんだろうなと思います。

清水崇(しみず・たかし)

1972年、群馬県生まれ。大学で演劇を専攻し、1996年公開の映画『眠る男』の見習いスタッフとして業界入り。1998年、ドラマの短編枠で監督デビュー。99年にVシネマ『呪怨』が大ヒット。2004年にはハリウッドでリメイクした『THE JUON/呪怨』で、日本初となる全米興行成績1位を獲得。近作に『魔女の宅急便』『こどもつかい』など。科学映画『9次元からきた男』が東京・日本科学未来館にて公開中。

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