「仕事ができる」「仕事ができない」はどこで決まるのか? (2/2ページ)
■カルロス・ゴーンが持っていたセンスと、持っていなかったセンス
この2人の例から言えることは、あるところでは仕事はできなくても、別の土俵に立てば、センスを発揮できるかもしれないということだ。つまり、自分のセンスの「土俵」が分かっている人は、「仕事ができる」ということが言える。
これは逆もありえることで、自分のセンスを発揮できる土俵で活躍していたが、いつしかその土俵がなくなってしまうこともある。
例えばカルロス・ゴーン氏について楠木氏は、「マイナスをゼロにする」にはすごくいいけれど、「ゼロからプラスをつくっていく」ということになると…と言葉を濁す。
確かに、悪い状態を整理し、改善するセンスと、爆発的に伸ばしていくセンスは全く異なるものだ。全てを兼ね揃えたスーパーな人間はほとんど見受けられない。
このように、本書は「仕事ができる」ということにおいての「センス」の意味について、滔々と語られている。
「仕事ができるかどうかの違いは分かった!でも、自分にはセンスがない」と思い込んでいるなら大間違いだ。センスは生まれ持った資質とつい思ってしまいがちだが、2人は口を揃えてセンスは「後天的なもの」だとしている。センスを練り上げていくのは、試行錯誤の時間だと楠木氏は言う。
センスがないと思うのではなく、「打席に立ってみないと分からない」と考える。
楠木氏と山口氏の言葉は、仕事に迷う人にとって響くものがあるはずだ。
(金井元貴/新刊JP編集部)