野村克也・月見草84年の真実(1)“寂しさ”が滲み出ていた「最期の言葉」 (2/2ページ)
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野村克也・月見草84年の真実
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野村克也
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角盈男
実は亡くなる2日前にお二方からの原稿チェックも戻ってきており、進行は最終段階だった」(担当編集者)
その江本氏は、昨年11月に行われた同書の対談収録が、野村氏と言葉を交わした最後になったという。
「何度か対談を重ねてきましたが、口癖のように『球場に行きたい、現場に行きたい』とおっしゃっていましたよ。野球一筋に生きてきた人だし、球場に行けば見知った顔が入れ代わり立ち代わりあいさつに来るからね。それが生きがいだったんじゃないですか。サッチーが亡くなって独り身になってからは、余計そうだったかもしれないね。ご自宅に弔問にうかがいましたが、ヤクルトのユニホームを着て安らかに眠られていました」
野村ヤクルトで95年に投手コーチを務めた角盈男氏も、近年の野村氏に同様の印象を抱いた一人だ。
「80歳を超えてからは腰が曲がってきて、本人は『キャッチャーやってきた職業病だよ』なんて言ってましたが、去年末には忘年会にも出てもらいましたし、元気そうでした。いまだに亡くなったことが僕にはピンと来ませんが、確かに奥さんを亡くされてからは独りの家に帰るのが寂しかったのかもしれませんね。最近は講演会に一緒に出ることもありましたが、終わってからの食事会のほうが話が長いんですよ。2~3時間はしゃべりっぱなしで帰してくれませんでした」
今ごろ天国では、最愛のサッチーと思う存分語らっているのだろうか。