親の介護は子供がするが当たり前だった時代に育った子供とそうでない子供 (2/3ページ)
■介護をしている子供が疲弊していくのをみて親はどう想うか
死を想定した終末期の状態においても、これが長引くことで家族が悲嘆の段階を終えてしまい、現実生活の問題が気になり始めることがあっても責めることはできない。ある意味、悲嘆という家族の愛情故の感情も気力、体力、経済状況などに余裕があればこそのものであると考えざるをえない。
人間の心身には限界があり、長期に渡る介護に肉体は悲鳴をあげ精神は疲弊する。さらに家計も圧迫される中で、どこまで愛情を貫けるものだろうか。義母が施設入所することになった事例では、日常的な介護から解放されたことで返って優しく接することになったと語っているのだ(3)。
そのような状況において介護されている親の心境はどうだろうか。尊厳死を選ぶ人の考えのひとつとして家族に迷惑をかけたくないというものがある。高齢者への調査では「子どもに頼らない」、人様の「迷惑にならない」などの発言が目立つ。ここでは「頼る」=「迷惑」という図式が明確に意識されている(2)。そのような意識のまま、最終的に介護を受ける立場になった場合、家族に「頼る」ことができるだろうか。
■親の介護が当然でなくなりつつある現代に育つ子供への影響
家族構成も様々だが第三者の視点も忘れてはならない。三世代家族を想定する時、介護をする第二世代と介護を受ける第一世代のみが問題になるが、三世代家族には第三者としての子供が存在する。現代の状況下においては三世代家族は少なくなっていると思われるが、介護の必要性から核家族から三世代家族に移行する状況はこれからも考えられる。
そうした中、子供にとって祖父母の介護をする親の態度は今後の人格形成に大きな影響を与え、次代の家族のあり方を左右することになるのではないだろうか。親が祖父母の介護に疲弊し、場合によっては不平不満を漏らすような場面に子供が触れてしまった場合、将来その子供が同じことを繰り返し負の連鎖を作り出す可能性はないとは言えない。
いわゆる「サンドイッチ世代」と呼ばれる中間世代は老親と子供の板挟みのなかで、「子ども優先」に傾きがちであるとの指摘がある(1)。