親の介護は子供がするが当たり前だった時代に育った子供とそうでない子供 (3/3ページ)

心に残る家族葬

それは親として当然の選択といえるが、その選択から生まれる態度が当の子供に与える影響も考えるべきではないだろうか。しかし寡聞ながら介護問題においては第三世代としての子供の存在はさほど重視されていないような印象を受ける。家族による介護役割に限界がある以上、介護の社会化の推進は急務であるが、そのこととは別に「家族」のあり方というものは考えなくてはならない問題である。

■問われる「家族」と「孝」

本来家族とは安らぎの場であり、無償の愛を提供する場であるはずだった。しかし、家族の愛情とはなにか。それは心身、経済状況の余裕の上に成立するものなのだろうか。このような問題は家族の余力のある内に終わっていた、かつての(現代に比べて)短命の時代にはありえなかったものである。医療水準、衛生環境の向上によって長寿化社会に突入した我々の生活の前には「家族とは何か」という新しい倫理の問題が問われるステージが開かれたといってよい。

■家族と、それを構成する親や子供の再定義が必要なのかもしれない

そもそも親(祖父母)の介護という行為自体が人間独特のものであるとはいえないか。繁殖という目的を果たしてなお資源を消費することは種の繁栄を妨げる非効率な行為である。しかし人間は人間以外の動物とは異なり、終生「家族を構成し続ける存在」である。副田は、「老人ホームや病院などの施設にいても、老人や病人と家族のとの相互作用がとぎれず、家族関係が老人や病人の心理につよい影響力をもつならば、かれらは家族のなかで老い、あるいは病んでいるのである」と述べている(1)。

家族とは生活を共にしていなくても家族関係として成立している。人間は家族の中で生まれ、育ち、やがて家族を作り、その家族の中で死んでいく。人はどのような状況であれ、家族から離れることはできないのである。現代医学が「人を中々死なせない」社会において「孝」の意識がいま改めて問われている。

■参考資料

(1) 副田義也 樽川典子「現代家族と家族政策」(2000)ミネルヴァ書房
(2) 藤崎宏子「高齢者・家族・社会的ネットワーク」(1998)培風館
(3) 金子勇編著「高齢化と少子社会」(2002)ミネルヴァ書房

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