下着は履くと逆に下品だった?江戸時代にようやく肌着が浸透。日本人とパンツの歴史【後編】 (2/2ページ)

Japaaan

ちなみに、銭湯においては女性は必ず専用の湯文字をつけたそうなのですが、これはまくれあがらないように鉛のおもりが縫い込まれていて湯の中でめくれ上がらないようにされていたのだとか。

パンツはないわりに、湯文字の色のレパートリーや工夫っぷりを見ると、江戸の人もかなり下着に対しては力を入れていたみたいですね。

主流になったのは洋服のおかげ

結局、着物が主流であった戦前までは、パンツはトイレの際に不便であるとか、ラインが浮き出て下品などの理由で世の女性には浸透しませんでした。

戦後になって、本格的な洋服の普及とともにようやく、日本とパンツの歴史は始まるのです・・・。

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

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