学問の神様・菅原道真公の怨霊が引き起こした数々の悲劇【前編】 (2/2ページ)

Japaaan

『北野天神縁起絵巻』に描かれた、清涼殿落雷事件 Wikipediaより

時平らが次々死亡

才気あふれる宿敵・菅原道真を左遷により葬り去り、実質政治のトップに上り詰めた藤原時平は、時の醍醐天皇の信頼を得ていよいよ意欲的に政治改革に乗り出します。しかし、道真の死からわずか5年後、延喜8年(908年)には時平と共に道真が左遷されるきっかけを作った藤原菅根が病死。

さらには翌年延喜9年(909年)、時平自身が39歳の若さで突如として死亡します。不幸はそれのみにとどまらず、時平と結託し菅原道真を失脚させた源光が、延喜13年(913年)狩りの最中に泥沼に沈んで溺死してしまうのです。

源光はもともと大納言でしたが、道真の死後は、その後任として右大臣に叙任されてほくほくしていた人物でした。

【後編に続く】

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