学問の神様・菅原道真公の怨霊が引き起こした数々の悲劇【前編】 (1/2ページ)
学問の神様として人気を集める菅原道真公。宇多天皇の右腕として重用され、忠臣として才気を発揮したことは有名です。
しかし彼の最期は不遇なもので、宇多天皇が譲位した後、醍醐天皇の御代であらぬ謀反の疑いをかけられ、九州大宰府に左遷されたのち、悲しみのうちに亡くなりました。その後、宮中に不幸が続いたため、人々は菅原道真の呪いだと噂をするようになります。
死してなお力を発揮した道真の存在は、あまりにおそれられたためその後神格化し、神様となって今に至ります。今回は菅原道真の怨霊が引き起こした数々の悲劇にクローズアップします。
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菅原道真伝説に関係あり?雷が落ちると「くわばら、くわばら」っていうのは何故? 昌泰の変で菅原道真が失脚事の発端は901年(昌泰4年)1月。右大臣菅原道真と確執のあった左大臣藤原時平(ふじわらのときひら)・大納言源光(みなもとのひかる)・藤原菅根(ふじわらのすがね)らの讒言により、醍醐天皇が道真のことを大宰府へ左遷し、道真の子供や右近衛中将源善らを左遷または流罪にした昌泰の変(しょうたいのへん)でした。
詩歌や文章、書道など学問の天才と謳われた菅原道真は、都からはるか遠く離れた九州の地で、不遇のうちに延喜3年2月25日に亡くなります。
ここから道真の「復讐」がはじまったのです。
