普段通り過ぎている神社仏閣を敢えて覗いてみると面白いことが見つかる (2/4ページ)
全長205cmの仙台(せんだい)石でできたその石碑だが、題字は東京高等歯科医学校(現・東京医科歯科大学)の創立者で、当時の歯学界の重鎮だった島峯徹(1877〜1945)博士の手によるもので、1934(昭和9)年に渋谷で歯医者を開業していた酒井紋次郎(1895〜1946)氏によって立てられたものだ。その裏面には、以下の言葉が彫られている。
「昭和五年五月十日本院開業以来、昭和九年五月九日ニ至ル満四ケ年間ニ患者各位ノ抜去セル霊歯二千九百三十三本ノ歯霊ヲ茲ニ安置シ永ク其ノ霊ヲ供養ス尚今後毎年本院ノ開業記念日ニ歯霊供養ヲ取リ行フ」
この言葉を守り、そして我々の生活に日々欠かせない「歯」を「霊」ととらえ、80年以上たった今もなお、酒井病院では、歯の衛生週間中の6月10日に抜歯または抜けた歯の供養を行っている。
■埼玉県大里郡寄居町の不動寺にある板碑
そして今度は、埼玉県大里郡寄居町(よりいまち)の南東部に位置する男衾(おぶすま)地区にあり、平安時代後期〜室町時代における「関東武士」を代表する武士団・武蔵七党のひとつである猪俣(いのまた)党に属していた旡動寺(ふどうじ)氏の居館跡と伝えられている不動寺(ふどうじ)の門前には、縦に並んだ格好の2基の板碑(いたび)がある。板碑とは主に鎌倉〜安土桃山時代において、供養のために建立された塔婆の一種のことだが、不動寺のものはいずれも、埼玉県の秩父地方で産出する緑泥片岩(りょくでいへんがん)製で、前面に大きく、供養の対象となる本尊を仏像または梵字の種子で表現した、典型的な「武蔵型板碑」である。
手前のものは、およそ156センチ、幅85センチ、厚さ7センチ。幸いなことに、碑には一切の欠けがない。現存するもので現在国内最古の板碑とされるものは、熊谷市須賀広(すがひろ)にある嘉禄3(1227)年のものだが、これは康元2年(1257)年に造立された、寄居町内では最古のものだ。正面に大きく阿弥陀一尊種子(しゅじ)が彫られている。その下にはうっすらとしか見えないが、蓮座が。