実は薩摩に逃げていた!?戦国武将・真田幸村(信繁)は生きていた説 (2/2ページ)

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雪も降らないような南国の地で、集落名に「雪」の字を使っていますが、これは「幸村」が変化したものといわれています。

但し、近年の研究では「幸村」という名前は大坂夏の陣が終わった江戸時代以降に呼ばれるようになったもので、本人は信繁と名乗っていたという説が有力ですので、これを正しいと考えるならば、集落の名前と幸村の名前の関係性は弱くなります。

伝・真田幸村の墓

また、鹿児島市の谷山という地区にある宝塔は豊臣秀頼の墓と伝えられ、民家の庭先にあります。

伝・豊臣秀頼の墓

これらの墓は本当に当人たちの者なのでしょうか。いずれにせよ、ひょっとすると、日本の各地には、まだまだ私たちの知らない歴史が埋もれているのかもしれません。

参考:川口 素生 『真田幸村は生きていた! 日本各地の「不死伝説」の謎に迫る 』

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