「暑さ寒さも彼岸まで」と言うけど、そもそも“彼岸“てどういう意味か知っていますか?
冬来たりなば、春遠からじ(冬が来たら、春はもうすぐ)……と言うことで、最近すっかり暖かくなって来ました。しかし、うっかりすると寒の戻りで風邪をひいてしまうので、まだまだ油断は禁物です。
さて、昔から「暑さ寒さも彼岸まで」と言うように、毎年お彼岸を過ぎれば冬の寒さ(&夏の暑さ)も和らいで過ごしやすくなるものですが、そもそも「彼岸」ってどういう意味なのでしょうか。
今回はそれを調べてみたので、紹介したいと思います。
三途の川の「向こう岸=あの世」からご先祖様の霊が還って来る日だとばかり思っていたら……まず、彼岸とは「向こう岸(かの岸)」という意味で、仏教用語の波羅蜜多(パーラミタ)に由来するそうですが、これだけだと何のことだか、さっぱり判りません。
波羅蜜多とはサンスクリット語で「迷いの川を乗り越えて、悟りの境地にたどり着いた」状態を表わし、たどり着いた川の向こう岸=悟りの境地を「彼岸」と意訳したそうです。
ちなみに、この川が往々にして「三途の川」と混同され、その向こう岸=あの世からご先祖様の霊魂が還って来るのをお迎えするのがお彼岸の儀式、とする俗説(筆者もそう聞いて、信じていました)もありますが、本来この「川」は観念的な存在であり、霊的には実在?する三途の川とは別のようです。
で、その彼岸がどうして春分の日(令和二2020年は3月20日)と秋分の日(同年9月22日)に当たるのかと言いますと、昼と夜の長さがまったく同じとなるこれらの日は、太陽が真東から昇って真西に沈むことから「極楽浄土(西のかなたにある西方浄土)への最短ルートが開通する」と考えられたためです。
つまり、このタイミングでご先祖様を供養することが、悟りの境地=極楽浄土へ至るために最も好コスパということですね。
しかし、このお彼岸供養の行事は、仏教の本場であるインド、中継地である中国では行われていないことから、民俗学者の五来重(ごらい しげる)氏が
「日本古来の太陽信仰に基づく祈願(日願い)が仏教用語の彼岸と結びついて日願(ひがん)となり、悟りの境地へ至れるよう祖先を供養する儀式が、太陽と密接な関係にある春分・秋分に行われるようになったのではないか」という旨を指摘しています。
つまり、大陸から渡来した仏教の思想と、日本古来の信仰精神が融合したお彼岸は、太陽に感謝し、祖先の霊を供養することで、共に最短距離で極楽浄土へ近づける、日本ならではのチャンスと言えるでしょう。
お彼岸には、ご先祖様に感謝の気持ちを近ごろは労力やコスト面の問題から「墓じまい」が取り沙汰されるなど、先祖供養も疎かにされ、「もう墓参りなんて時代じゃない」と思われる方も、残念ながら少なくないようです。
しかし、ご先祖様がいなければあなた自身も存在し得なかったわけで、たまにはその存在を思い出し、感謝する機会として、お彼岸を見直して頂けましたら幸いです。
※参考文献:
五来重『宗教歳時記』角川ソフィア文庫、2010年1月
伊藤唯真『仏教民俗学大系6 仏教年中行事』名著出版、2016年5月
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