武士の身分を取り戻せ!明治維新の戦場を駆け抜けた甲賀忍者たちの武勇伝【上】 (3/4ページ)
「卑しくも我らが祖先は秘伝の忍術を以て、畏れ多くも東照神君(徳川家康)をお助け奉り……」
甲賀古士たちはいかに自分たちの祖先が卓越した忍術を駆使して亡き徳川家康(とくがわ いえやす)を助け、手柄を立てたかをアピールしましたが、その努力が実ることはありませんでした。
「……いや、そんな大昔の、証拠もないことをそれっぽく言い出されても……そもそも、忍術分野だったら身元が確かで忠義に篤い伊賀流の者たちがいるし……(江戸幕府・心の声)」
一応、江戸幕府にも関ヶ原で武功のあった甲賀衆の子弟から取り立てられた甲賀組(こうがぐみ。こちらは濁って呼ばれる)が組織され、大坂の陣でも高性能の大砲を鋳造する功績を上げたものの、数ある鉄砲百人組の一つに過ぎず、時代と共に窮乏していました。
(※余談ながら、甲賀出身者は傘張りに巧みとの評判だったそうで、手妻の技術が活きたのかも知れません)
武士になれる最後のチャンス!甲賀古士たちの決断は?「うぅむ……やはり忍術分野は伊賀流の独壇場。さりとて他に武士としてのアピールポイントもないし、もはや仕官は難しいかも知れんな……」
一度トーンダウンしてしまうと、今度は甲賀古士の結束が乱れて内輪もめが起こり、嘆願活動はグダグダになっていきました。
しかし、彼らの活動によって、それまで秘伝の存在とされていた「甲賀忍者」のイメージが江戸社会に普及。やがて伊賀流のライバル?として現代にまで伝えられているのですから、その努力は決して無駄にはならなかった筈です。