武士の身分を取り戻せ!明治維新の戦場を駆け抜けた甲賀忍者たちの武勇伝【下】 (2/4ページ)

Japaaan

「それっ、今だ!」

その詳細は伝わっていませんが、甲賀流忍術が得意とする手妻(奇術)や薬物を用いて庄内藩の軍勢を大いに惑わし、混乱に陥れたことは想像に難くありません。

「おぉっ、敵陣より火の手が上がったぞ!」

正面から攻撃していた本隊も庄内藩の動揺を見逃すことなく敵陣へ突入。大いに斬り回って各所に血煙を上げましたが、現地には当時の刀疵が残っている古民家もあるそうで、戦闘がいかに激しいものであったかが偲ばれます。

「……敵の砲台を陥落(おと)したぞ!」

敢然と抵抗を続け、徳川四天王(の一人・酒井忠次)の末裔に恥じない戦ぶりを見せた庄内藩ですが、切り札の砲台を奪われて勝算を失い、退却を余儀なくされました。

「あの関川口の堅い守りを、ついに攻略(おと)した……我らの勝ちぞ!」

「皆の者、勝鬨(かちどき)を上げよ!」

「「「えい、えい、おう!」」」

夜が明けて明治元年9月12日、晴れて攻略を果たした関川口で全軍が合流。岩国藩と高鍋藩は敗走した庄内藩を追撃し、旗本隊(甲賀隊、高野隊、多田隊)は関川口の守備を任されます。

もっと前線へ出て、より手柄を立てたい気持ちもあるものの、ここを庄内藩に奪還されたら、前線部隊の退路が断たれて「袋のネズミ」にされてしまいますから、決して疎かには出来ない任務です。

事実、4日後の9月16日に庄内藩が関川口を奪還するべく兵を繰り出しており、9月20日まで4日間にわたって防衛戦を繰り広げています(途中、9月18日に旗本隊の後発組や新政府軍諸藩の増援が到着)。

ちなみに、関川口は戊辰戦争において庄内藩が唯一新政府軍の進攻を許してしまった場所であり、何としても奪還したかったところでしょうが、新政府軍は庄内藩の猛攻を見事に撃退。

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