長嶋茂雄、1打席の“抜き打ちテスト”「栄光の軌跡」舞台裏

日刊大衆

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 80年を超えるプロ野球の歴史の中で、誰もが認める不世出のスーパースターといえば、長嶋茂雄(84=現・巨人軍終身名誉監督)と王貞治(79=ソフトバンクホークス会長)だろう。

 今季は新型コロナウイルスのパンデミックにより、ペナントの開幕も延期された。現在、NPB(日本野球機構)はセ・パ両リーグとも4月24日の開幕を目指しているが、確定的なことは誰にも分からない。そこで、球界へのエールを込めて、ONの苦難と栄光の軌跡をここで改めて紐解いていこう(以下、文中=敬称略)。

 高校時代の長嶋茂雄(千葉県立佐倉第一高校=現・佐倉高校)は、プロ野球スカウトからはノーマークの選手だった。

 高校生活最後の夏の甲子園大会予選を大宮市営球場で終えた長嶋は、父親の勧めもあり、大学進学を考えていたという。志望校は特に決まっておらず、「大学に行っても野球がやれたらいいな……」と、のんびり構えていたが、9月に“大きな動き”があった。

 富士製鐵(現・日本製鐵)野球部の小野秀夫マネージャーが突如、長嶋家を訪ねたのだ。富士製鐵入りを勧める小野に長嶋の父親は、こう言った。

「兄の武彦は、家庭の事情で大学に行かせてやることができなかった。だから、せめて茂雄には大学教育を受けさせてやりたいんです。せっかくのお話ですが、お断りさせてください」

 すると小野は、こう食い下がったという。「お気持ちはよく分かりました。では、立教大学に進学してみてはいかがですか。立教は私の母校ですし、野球に対する情熱はどの大学にも負けません。なにより、選手を育てるのが上手です。今春、立教は20年ぶりに優勝しましたが、エースの小島訓一は、神奈川の川崎高校から立教に入って、砂押邦信監督にピッチングのイロハを叩き込まれて開花したんです」

 長嶋の父親は、ときおり、うなづきながら小野の話を聞いていた。

「息子さんは、立教に行けば必ず大学を代表するバッターになれると思います」最後に小野が“殺し文句”を放つと、長嶋の父親は、「立教さんの件は、じっくり考えてみます」と返事をした。

 手応えを感じた小野は、長嶋が高校から帰宅するのを待たずに長嶋家を後にし、東長崎(東京都豊島区)の立大野球部の寮に飛んで行った。小野は砂押監督に一部始終を報告し、今後の長嶋家との交渉を立教のマネージャーに託した。

 実は小野は、長嶋が立教に入学するまで一度も対面したことはなかった。プレーも見ていなかった。それにもかかわらず佐倉まで出向いたのは、情報網にしていた新聞記者のアドバイスがあった。

「関東に、プロや大学スカウトが目をつけていない有力な選手はいないか?」

 小野マネージャーが無名の選手を探していたのには、理由がある。富士製鐵の野球部は室蘭が拠点だった。当時は交通の便がよくなかったため、引く手あまたの有名高校球児たちは、北海道に行くことに二の足を踏むと思ったからだ。

 そんな思惑で選手を調査していたところ、「南関東地区予選で、すごいホームランを打った長嶋という選手がいる」という情報が、懇意にしていた新聞記者から入ったのだ。「体格もよく、バネのある動きをする」こんな触れ込みだった。

■1打席の“抜き打ちテスト”

 小野の訪問から数日がたったある日、長嶋のもとに、「うち(立教)の寮とグラウンドを見に来ないか」と、連絡があった。立大の山﨑清雄マネージャーからだった。長嶋は誘いに応じ、南長崎を訪れたが、立大に入ろうとは考えてはいなかったという。

「君が長嶋君か!」グラウンドに行くと、砂押監督が笑顔で歩み寄ってきた。長嶋は学生服姿で、手ぶらで見学に来ていたが、なぜか、新品の立教のユニフォームとスパイクが用意されていた。サイズも長嶋にピッタリだった。

「どうやって、スパイクのサイズまで調べたんだろうね(笑)」とは、後年、長嶋が親しい記者に漏らした弁。

 グラウンドでは紅白戦が行われていた。ゲームを眺めていた長嶋に砂押監督は、こう言った。

「よし、君も打ってみろ」

 長嶋は一瞬面食らったが、用意されていたユニフォームに着替え、打席に入った。長嶋は石原照夫(後に東映に入団)が投げた外角のストレートを打ち返し、右中間を大きく破る二塁打。

 この一打で、砂押監督は長嶋の才能を見抜いた。「ご苦労さん、もういいよ」長嶋の“抜き打ちテスト”は、1打席で終わった。

 後日、立教大学では砂押監督と数名のOBが列席し、スポーツ推薦会議が行われた。1番目に全員が芦屋高校の本屋敷錦吾(後に阪急に入団)の名を挙げると、「少々粗削りな部分はあるが、素質は十分」と、砂押監督は2番目に長嶋の名を挙げた。

「そんな無名の選手を2番手にしてよいのか」と異論が出たものの、砂押監督はそのまま押し切ったという。当時、立教の野球部に与えられた推薦枠は15人だった。

 立教に入学した長嶋は、野球部で“鬼”と陰口を叩かれるほどに恐れられていた砂押監督のもと、猛練習に励んだ。

 有名な“月夜のノック”で守備の基本を学び、チーム練習の後は、池袋にあった砂押監督の自宅で、2時間、素振りをした。

〈一選手に2時間もつきっきりで個人練習したなんてのは前代未聞。長嶋は、砂押監督のおかげで打者の才能を開花させた〉

 3月30日発売の『週刊大衆』4月13日号では、王貞治の軌跡にもせまっている。

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