江戸時代、歯磨きや洗濯は何を使ってたの?毎日の食事はどんなもの?江戸庶民の暮らしアイテム

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江戸時代、歯磨きや洗濯は何を使ってたの?毎日の食事はどんなもの?江戸庶民の暮らしアイテム

一時期の歴史ブームによって、「江戸」のエコな社会や、上水道の発達など以外にシステム化されていた暮らしぶりは知られていることでしょう。

ただ、現在私たちの周りには西洋野菜やプラスチック商品が流布していることもあり、実際の生活を思い浮かべるのは難しいかも。今回は生活の細かなところに切り込んでみたいと思います。

『繪本時丗粧』二巻 歌川豊国 享和2 [1802]

毎日魚を食べていたわけじゃない?

江戸のおかず、といえば魚を一番に思い浮かべますが、そうそうたくさんの種類の魚が食べられていたわけではなく、裏長屋の食卓にのぼるのは鰯や秋刀魚が主だったと言われています。

主に長屋の住人は天秤棒を担いだ棒手振りから購入していましたが、生魚を新鮮なうちに食べられる機会がない場合は、干物に頼るしかなかったようです。また、魚ではなく「むきみ」と呼ばれるあさりやしじみも一般的でした。

魚介類ではありませんが、豆腐は『豆腐百珍』という本が出版されるくらい、愛されていました。

野菜は?江戸っ子は大根が大好き

いまはジャガイモやキャベツ、玉葱などがいつでもスーパーに置いてある定番野菜かもしれません。

しかし江戸時代は違います。大根・小松菜・茄子・牛蒡・人参・カボチャ・筍などが主。薬味としては生姜・葱・茗荷などです。

野菜の中でも特に大根は一年中食べられており、煮物・沢庵漬け・切り干し大根として愛されていました。

江戸ブランドとして、「練馬大根」「谷中生姜」「滝野川人参」「居留木橋カボチャ」「早稲田茗荷」などがあります。今は畑などの面影が微塵もない地域ばかりですね。近郊の野菜が江戸の食を支えていたかがわかります。

江戸前ってどこからどこまで?

江戸前の定義ですが、「西は品川州崎一番の棒杭から東は深川州崎末棒杭」と言われます。現在で言うと、品川区東品川一丁目辺りから、江東区木場一丁目辺りまでですね。

そこで穫れた魚は主に、鯵や鯛、平目、鱚、さよりなど。芝エビや穴子、シャコなどもありました。海だけではなく隅田川・深川などの鰻も江戸前に含まれます。

以前ご紹介した浅草海苔も江戸前の代表ですね。

歯磨きや洗濯は何を利用してたの?

房楊枝(ふさようじ)と呼ばれる、柳の枝の先端をつぶして房状にしたもの)を歯ブラシとしていました。歯磨き粉は房州砂と呼ばれる粉末状の砂に、香料や塩を混ぜたものが主流。文化期には百種類もの商品が出回っていたようです。

洗濯は灰を水に溶かした上澄みである灰汁と、米のとぎ汁。盥に洗濯物を入れて、もみ洗いをしていました。おなじみの光景ですね。

シャボン(石鹸)はポルトガルから伝来していましたが、香りを楽しんだり皮膚病の薬として、金持ちの層しか手に入れられないものでした。

代用品は無患子(むくろじ)とよばれる木の皮で、こすり合わせて泡を出しました。また、「さいかちの実」はぬるま湯でふやかし揉みほぐすと泡が出ました。

着物は「洗い張り」という手法で、主に夏、縫い目をほどいて細長い布状に分解し、板に張り付けて乾かしました。お粥をすりつぶして糊状にした「姫糊」をつや出しとして利用していました。

昔はよく着物に虫食いが起きていたのも、天然の素材だったからですね。


『繪本時丗粧』二巻 歌川豊国 享和2 [1802]

行灯や蝋燭。どれくらい明るかったの?

江戸庶民は主に行灯を利用。皿に油を入れて、麻布をほぐしてよった灯心を浸し火をつけます。火打ち石や火打ち金など道具一式は「火口箱」と呼ばれる道具箱に入れておきました。

しかし行灯の明るさは今の豆電球程度と言われており、手紙を読むのも一苦労のレベル。
蝋燭は行灯の5倍の明るさですが高級品で、武家が広間で使う百目蝋燭は、かけそばの12倍もの値がついたようです。

行灯の油も菜種油ではなく、半値で買える魚油を利用していたようです。魚油は匂いがきつく、煤も大量に出ました。そのため、眼病も多かったようです。江戸中期頃になると、菜種油の値が下がり夜なべ仕事ができるようになりましたが、太陽の動きと共に早寝早起きすることが一番効率的だったようですね。

参考文献:『江戸の人情「長屋」がわかる』技術評論社

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