歴代総理の胆力「鈴木善幸」(1)「ゼンコー・フー(善幸って何者)?」 (2/2ページ)

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 さらには「政治生命をかける」とした「行政改革」も、当時の「経団連」の名誉会長にして硬骨漢で鳴った土光敏夫を第二次臨時行政調査会(俗に「第二臨調」と呼ばれた)の会長に据えたが、鈴木自身の決断力不足もあって方向性を示すだけにとどまり、行政に具体的なメスを入れることはできなかった。

 一方、外交は、それまで農林大臣として通商に携わったことはあったが、本来の外交とは無縁だったこともあり、馬脚をあらわした格好だった。時の伊東正義外務大臣とぶつかり、伊東を外相辞任に追い込んだ。原因は、鈴木に外務官僚とのパイプがなく、政権と外務省の意思疎通がまったく機能していなかったことにあったのである。

 かくして、政権実績上がらぬ中での約2年半、その末期に至ると最大の「後見人」とも言えた田中角栄から、ついに“最後通牒”を突きつけられたのだった。田中は言った。

「いつまでも芝居の幕を開けないと、客は帰ってしまうぞ」

 この田中の言葉をもって事実上、鈴木政権はジリ貧の中での退陣を余儀なくされた。昭和57(1982)年10月12日、鈴木はふだんの慎重な物言いから一変、大見得を切ったかのような「大死一番、決断した」として退陣を表明した。総理としての見識を最後まで見せつけることがなかった鈴木に、メディアの一部からは「暗愚の宰相」の声が挙がったものであった。

■鈴木善幸の略歴

明治44(1911)年1月11日、岩手県生まれ。農林省水産講習所(のちの東京水産大学)卒業。昭和22(1947)年4月、社会党から衆議院議員初当選。昭和55(1980)年7月、鈴木内閣組織。総理就任時69歳。平成16(2004)年7月19日、肺炎のため死去。享年93。

総理大臣歴:第70代 1980年7月17日~1982年11月27日

小林吉弥(こばやし・きちや)政治評論家。昭和16年(1941)8月26日、東京都生まれ。永田町取材歴50年を通じて抜群の確度を誇る政局分析や選挙分析には定評がある。田中角栄人物研究の第一人者で、著書多数。

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