松田聖子 デビュー40周年の全秘話(1)頑固な父親がついに認めた (2/2ページ)

アサ芸プラス

いつ歌手になれるのか不明だったが、思わぬ幸運が舞い込む。三顧の礼で迎えた中山にアクシデントが起きたのだ。中山自身が40年前のその日を振り返る。

「デビュー曲は輸入シャンプーのCMソングとして大々的に流れるはずだったのが、日本で禁止されている成分があったために販売中止になりました。ついこないだまで『圭子ちゃん、圭子ちゃん』と近くにいた人たちが、蜘蛛の子を散らすようにいなくなるんです。CMがなくなったことにより、レコード会社のプロモーターの方は責任を感じて出社拒否になってしまいました」

 これが契機となり、早くても同年夏の予定だった聖子のデビューが4月1日に繰り上がる。ちなみに、最初に予定されていた芸名は「新田明子」だったが、聖子自身がこれを拒否したため「松田聖子」として世に出ることになった。

(石田伸也)

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