長嶋茂雄と王貞治…愛と憎しみのライバル秘話

日刊大衆

写真はイメージです
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 高校時代は“無名の選手”だった長嶋と甲子園の“スーパースター”だった王。「ONの高校時代」は、好対照だった!!

 80年を超えるプロ野球の歴史の中で、誰もが認める不世出のスーパースターといえば、長嶋茂雄(84=現・巨人軍終身名誉監督)と王貞治(79=ソフトバンクホークス会長)だろう。

 今季は新型コロナウイルスのパンデミックにより、ペナントの開幕も延期された。球界へのエールを込めて、ONの苦難と栄光の軌跡をここで改めて紐解いていこう(以下、文中=敬称略)。

 高校時代の長嶋茂雄(千葉県立佐倉第一高校=現・佐倉高校)は、プロ野球スカウトからはノーマークの選手だった。高校生活最後の夏の甲子園大会予選を大宮市営球場で終えた長嶋は、父親の勧めもあり、大学進学を考えていたという。志望校は特に決まっておらず、「大学に行っても野球がやれたらいいな……」と、のんびり構えていたが、9月に“大きな動き”があった。富士製鐵(現・日本製鐵)野球部の小野秀夫マネージャーが突如、長嶋家を訪ねたのだ。富士製鐵入りを勧める小野に長嶋の父親は、こう言った。「兄の武彦は、家庭の事情で大学に行かせてやることができなかった。だから、せめて茂雄には大学教育を受けさせてやりたいんです。せっかくのお話ですが、お断りさせてください」

 すると小野は、こう食い下がったという。「お気持ちはよく分かりました。では、立教大学に進学してみてはいかがですか。立教は私の母校ですし、野球に対する情熱はどの大学にも負けません。なにより、選手を育てるのが上手です。今春、立教は20年ぶりに優勝しましたが、エースの小島訓一は、神奈川の川崎高校から立教に入って、砂押邦信監督にピッチングのイロハを叩き込まれて開花したんです」

 長嶋の父親は、ときおり、うなづきながら小野の話を聞いていた。「息子さんは、立教に行けば必ず大学を代表するバッターになれると思います」

 最後に小野が“殺し文句”を放つと、長嶋の父親は、「立教さんの件は、じっくり考えてみます」と返事をした。

 手応えを感じた小野は、長嶋が高校から帰宅するのを待たずに長嶋家を後にし、東長崎(東京都豊島区)の立大野球部の寮に飛んで行った。小野は砂押監督に一部始終を報告し、今後の長嶋家との交渉を立教のマネージャーに託した。

 実は小野は、長嶋が立教に入学するまで一度も対面したことはなかった。プレーも見ていなかった。それにもかかわらず佐倉まで出向いたのは、情報網にしていた新聞記者のアドバイスがあった。「関東に、プロや大学スカウトが目をつけていない有力な選手はいないか?」

 小野マネージャーが無名の選手を探していたのには、理由がある。富士製鐵の野球部は室蘭が拠点だった。当時は交通の便がよくなかったため、引く手あまたの有名高校球児たちは、北海道に行くことに二の足を踏むと思ったからだ。そんな思惑で選手を調査していたところ、「南関東地区予選で、すごいホームランを打った長嶋という選手がいる」という情報が、懇意にしていた新聞記者から入ったのだ。「体格もよく、バネのある動きをする」 こんな触れ込みだった。

■立教大学に入学、運命の出会い

 小野の訪問から数日がたったある日、長嶋のもとに、「うち(立教)の寮とグラウンドを見に来ないか」と、連絡があった。立大の山崎清雄マネージャーからだった。長嶋は誘いに応じ、南長崎を訪れたが、立大に入ろうとは考えてはいなかったという。

「君が長嶋君か!」 グラウンドに行くと、砂押監督が笑顔で歩み寄ってきた。長嶋は学生服姿で、手ぶらで見学に来ていたが、なぜか、新品の立教のユニフォームとスパイクが用意されていた。サイズも長嶋にピッタリだった。「どうやって、スパイクのサイズまで調べたんだろうね(笑)とは、後年、長嶋が親しい記者に漏らした弁。グラウンドでは紅白戦が行われていた。ゲームを眺めていた長嶋に砂押監督は、こう言った。「よし、君も打ってみろ」 長嶋は一瞬面食らったが、用意されていたユニフォームに着替え、打席に入った。

 長嶋は石原照夫(後に東映に入団)が投げた外角のストレートを打ち返し、右中間を大きく破る二塁打。この一打で、砂押監督は長嶋の才能を見抜いた。「ご苦労さん、もういいよ」 長嶋の“抜き打ちテスト”は、1打席で終わった。

 後日、立教大学では砂押監督と数名のOBが列席し、スポーツ推薦会議が行われた。1番目に全員が芦屋高校の本屋敷錦吾(後に阪急に入団)の名を挙げると、「少々粗削りな部分はあるが、素質は十分」と、砂押監督は2番目に長嶋の名を挙げた。「そんな無名の選手を2番手にしてよいのか」と異論が出たものの、砂押監督はそのまま押し切ったという。当時、立教の野球部に与えられた推薦枠は15人だった。

 立教に入学した長嶋は、野球部で“鬼”と陰口を叩かれるほどに恐れられていた砂押監督のもと、猛練習に励んだ。有名な“月夜のノック”で守備の基本を学び、チーム練習の後は、池袋にあった砂押監督の自宅で、2時間、素振りをした。〈一選手に2時間もつきっきりで個人練習したなんてのは前代未聞。長嶋は、砂押監督のおかげで打者の才能を開花させた〉 後年、“学生野球の父”とされる飛田穂洲は朝日新聞に、こう寄稿している。

 ご存じのように長嶋は、東京六大学野球で押しも押されもせぬスターとなる。当時の新記録となる通算8号本塁打を放ったあと、砂押監督は報知新聞に、こうコメントしている。〈私が長嶋を初めて見たのは昭和28年の秋。一目見て“今まで手掛けたことがない大選手になる”と直感した。私は、長嶋に細かい技術的なことはほとんど言わなかった。彼はちょっとヒントを与えると、私の言わんとしていることを悟ってくれた。天賦の才があったんだと思う〉

 “ミスタープロ野球”長嶋茂雄は、砂押監督と出会わなければ生まれなかったかもしれない。

■プロからも注目を集める高校球児

 甲子園本戦への出場経験がなく、高校時代は無名だった長嶋とは対照的に、王はプロからも注目を集める高校球児だった。王が、スラッガーとしての才能を開花させたのは、本所中学(東京都墨田区)野球部2年生のときだ。本所中は校庭がコンクリートで、十分な練習ができなかったため、王は地元の高校生が作った「厩四ケープハーツ」に入り、草野球に興じていた。

 隅田公園で試合をしていると、後に王と一本足打法を生み出す荒川博が偶然通りかかり、声をかけてきた。「君はギッチョ(左利き)なんだから、左で打ったほうがいいよ」

 王は生まれつき左利きだったが、父親の仕福さんから、「箸と鉛筆は右手で使わなければダメだ」と、厳しくしつけられていた。そのため、当時は左投げ右打ちだった。荒川に言われたので、王は次の打席は左で打ってみた。すると見事な二塁打。これに気をよくした王は、以来、左打ちとなる。記憶力が抜群にいい王は、「昭和29年11月30日だったと思う」と、荒川に出会った日付を鮮明に覚えているという。

 野球少年だった王だが、父親は「長男の鉄城は医者に、次男の貞治は電気技師にする」と決めていた。ところが、名門の都立墨田川高校の受験に失敗してしまう。そこで、推薦枠で高校野球の名門、早稲田実業高校に入学したのだ。早実に王を推薦したのは、日本橋人形町でスポーツ用品店を経営していたH氏。「(推薦を決定するお披露目会)では、ピッチングは披露したが、バッティングしろとは言われなかった」とは、王の弁。王のピッチングを見て惚れ込んだのは、早実のOBで朝日新聞の運動部記者だった久保田高行だった。

「王は飛び抜けていた。この子がいれば、全国制覇できると思ったよ」と、王を徹底マーク。墨田川高校受験に失敗したと聞くや、すぐに獲得に動いたという。王は早実から接触があるまで、本所高校に進学する予定だった。

■早実に入学し、甲子園で活躍

 早実に入学するや、即レギュラーに抜擢された王。投手としての才能を評価されていたが、まずは外野手にされた。5番打者として、のちにプロ入りする醍醐猛夫(毎日)、徳武定之(早大-国鉄)の後を打った。1年生で強豪校のクリーンアップを打つことは前代未聞だった。夏には早々に、甲子園の土を踏んでいる。

 1年秋からの新チームでは、“エースで4番”を任された。投手としての王は、重い速球と大きく割れるカーブ、ときおり投げるドロップがさえていたが、コントロールは悪かった。そこで久保田から、メジャーのワールドシリーズでノーヒットノーランを達成したヤンキースのドン・ラーセンのフォームを真似るよう、勧められている。

 投手として臨んだ春の選抜。2度目の甲子園は、エースとしての出場だった。決勝は高知商の小松俊広(後に巨人で同僚)と投げ合いになる。王は、「左手の中指の爪が割れて痛かった」と試合後に語ったが、血だらけの指で投げ続けていたのだ。捕手が、「ボールを代えてください」と言って手渡した白球は、朱に染まっていたという。球審は驚いて、「大丈夫なのか?」と尋ねたが、王は気丈に完投。“血染めのボールで優勝”と新聞は書き立てた。

 実は王は、準決勝の久留米商戦で、すでに左手の爪を割っており、息子のアクシデントを知った王の父親が急遽、甲子園に駆けつけていた。王の父親は、宿舎で生のニンニクを噛み砕き傷に塗ったという。

 優勝を決めたのは、王の一塁への牽制球だった。王が引っ張る早実は強く、2年の春夏、3年の春と連続で甲子園出場を果たし、2年生の夏にはノーヒットノーランも記録した。王は、高校野球の“金の卵”として、プロのスカウトから注目を集めるようになっていた――。

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