志村けんリアル“加トちゃんケンちゃん”若き日の絆エピソード

日刊大衆

志村けんリアル“加トちゃんケンちゃん”若き日の絆エピソード

 志村けんさん(享年70=以下、一部敬称略)にまつわる秘話は尽きない。

 ここに一冊の書籍がある。ザ・ドリフターズを極めて間近で見ていた人物が明かした、下積み時代の仰天エピソード満載の書籍『8時だョ!全員集合伝説』だ。今から約21年前、双葉社より発売された。

 著者は居作昌果(いつくり・よしみ)氏。2005年に71歳で他界した同氏は、『8時だョ!全員集合』(TBS系)のプロデューサーであり、いかりや長介(享年72)らザ・ドリフターズのメンバーとともに、怪物番組を作り上げた当事者だ。彼の目から見た志村けんとは――。

 高校時代から、いかりや長介のバンドボーイ兼付き人のような立場である“ボーヤ”になった志村けん。志村が過酷なボーヤ生活を続けて1年半がたった69年10月から『8時だョ!全員集合』が放送開始となる。しかし、19歳の志村の気持ちは晴れなかった。

〈コメディアンになるために苦労しているはずなのに、そのチャンスも、きっかけもみつからない。師と選んだいかりやも、何も言ってくれない。あせり始めた血気盛んな志村は、ボーヤ仲間を誘ってドリフを離れ、旗揚げしようと考えた〉

 悩んだ志村は脱走してしまう。

〈ところが、コンビで旗揚げするつもりだった仲間のボーヤが、いつまで待っても一向に脱走してこない〉

 相棒候補の翻意により、志村はやむなく他の仕事で生活費を稼ぐことに。そんな生活がしばらく続いた。だが、それでは、なんのために脱走したか分からない。そこで……。

■加藤宅に居候して…

〈振り出しに戻るしかないと、志村はふたたびドリフターズのボーヤ生活に戻る決心をした〉

 なんとも、肝が据わっているというか、得な性格というか……。だが、そんな志村とて、いかりやに再び直談判する勇気はなかった。

〈相談に乗ってくれそうなのは加藤茶である。神妙な顔つきで加藤の家を訪ねた志村は、いかりやへの仲介を頼み込んだ〉

 その場面を想像すると、まるでコントの1シーンのようだが、志村は真剣であり、加藤茶(77)は、ハゲヅラを被っておらず、“ひっきしっ!”とクシャミをすることもなかった。

 結局、志村は復帰を許され、しかも、東村山(東京の多摩地域)からの通いは大変だからと、加藤宅に、ちゃっかり居候することになった。

〈『あんな楽な時代はなかった』と志村は言う。それもそのはずである。生活費は安上がりだし、仕事場は一緒なのだから、加藤についていけばいい。おまけに志村は運転免許を持っていない。(中略)加藤の運転する車に行き帰り乗せてもらうことになる。当代随一の人気者加藤茶を運転手に、その隣に名もないボーヤ志村けんが、ふんぞり返って乗っていた毎日だったのである〉

 まるで、バカ殿のような日々ではないか。

〈『それだけじゃないんだよ、家へ帰って気がついたら、あいつ俺より先に、風呂へ入っちゃんてるんだよ。まったく、どっちがボーヤだかわかんなかったよ』と加藤は笑う〉

 謹んで哀悼の意を表します。

 この続きは、4月13日発売の『週刊大衆』4月27日号で。

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