なんと毒見は3回も!?一生ずっと”冷や飯”を食わされ続けた江戸幕府の将軍たち【下】

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なんと毒見は3回も!?一生ずっと”冷や飯”を食わされ続けた江戸幕府の将軍たち【下】

前回のあらすじ なんと毒見は3回も!?一生ずっと”冷や飯”を食わされ続けた江戸幕府の将軍たち【上】

江戸時代の将軍と言えば、何でも意のまま好き放題に贅沢三昧をしていたイメージがありますが、その実態は、出来てから3度の毒見(約2時間)を経てパッサパサに冷め切った料理を食べていました。

そこまでご大層な段取りで将軍が口にする料理は、一体どんなメニューだったのでしょうか。

基本は一汁二菜、気の休まらない将軍の食事

朝食:ご飯、味噌汁、おかず(梅干し、煮豆、焼き味噌などから2品)
昼食:朝食と同程度(急を要する政務があれば昼食抜き)
夕食:朝食に一品(煮物、焼き魚など)が加わる

将軍様の食膳を運ぶ女性。せめて食器だけでも華やかに。

……随分と質素ですが、これが代々の徳川将軍が味わってきた食事だそうです。初代将軍・徳川家康が「貧乏だった三河時代を忘れまい」と質素倹約に努めたからとも、素食こそ健康によいと考えられたからとも言われます。

ちなみに、ご飯は現代(あるいは庶民)のような炊き方ではなく、水洗いした米を湯で煮てから掬い取り、蒸すことで油脂分を落とし切ったオカラ状で、魚も丹念に水洗いして脂も旨味も抜き去った出がらし状。たとえ出来立てでも決して美味しいとは言えなさそうです。

落語「目黒の秋刀魚」もそうですが、昔の日本人は油脂分の消化が苦手だったようで「万が一、将軍様がお腹を壊しては一大事(自分の首が飛ぶかも知れない)」と、味など二の次だったのでしょう。

また、時代が下るにつれ徳川将軍の命日も多くなり、その日は忌日として精進しなければなりませんから、酒も魚もダメになります。

どっちが主君か判らない?自由がなかった将軍の生活

好き嫌いは厳禁で、食べ残しがあろうものなら、すぐに医者が飛んできて診察し、体調に問題なしとなれば「お口に合わない料理を作った」として料理役人が叱責を喰らう……将軍もそれを知っているので、どんなに嫌いなものでも頑張って食べたようです。

あと、食べこぼしがあった場合は必ず将軍自身が拾って(よほどの状態でなければ)食べたそうで、これは「食べ物と、それを作った人に対する感謝の気持ち」を忘れぬようにするためで、これは将軍に限らずどこのお殿様も同じでした。

ちなみに、朝食時は食事と同時進行で髪を結い直し、顔や生え際を剃ってもらうため、常に剃刀が自分の顔に触れた状態で食べねばならず、うっかりクシャミも出来ません。

「やい手前ぇ、これが将軍様の髪だったら一大事だぞ!」

理髪作業に当たる者は常に自分の表情を見ている訳で、つい顔を顰(しか)めようものなら、緊張のあまり手許を狂わせかねないため、いかなる時も平常心で食事をしなければならない……ここまで気を遣わされると、どっちが主君か分かりません。

先ほど紹介した通り、政務が多忙であれば昼食はお預けを喰らい、政務がまだ残っていれば夕食後だって残業します。あるいは午前中の座学に学者から宿題を出されていれば、それもやらねばならず、寝る直前まで自由な時間など皆無だったようです。

終わりに

作るのも大変、提供するのも大変、食べるのも大変……とかく大変づくしだった徳川将軍のお食事に比べると、私たち現代庶民はずいぶんと気ままに、美味しくご飯が食べられているものだと実感します。

食事と同時進行で顔剃りはしたくありませんが、一粒の米や一杯の水に感謝を忘れぬ姿勢を見習いながら、これからも温かいご飯を食べたいものです。

※参考文献:
杉浦日向子『一日江戸人』新潮文庫

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