江戸時代にも活躍していた!武田信玄の軍師・山本勘助の伝説を受け継いだ子孫たち【上】 (2/4ページ)

Japaaan

晴幸の嫡男・二代目菅助
三代目:山本十左衛門尉幸俊(ゆきとし。晴幸の娘婿)
四代目:山本平一郎幸明(ゆきあき。幸俊の長男)
五代目:山本三郎右衛門正幸(まさゆき。幸俊の四男。後に三代目菅助
六代目:山本菅助(諱は不詳。正幸の嫡男。四代目菅助
七代目:山本十左衛門尉(諱は不詳。四代目菅助の養子)

※諱(いみな。本名)については諸説あります。

以降、幕末まで存続していくのですが、その道のりは決して平坦なものではありませんでした。

理解の助けとなるよう略系図も載せておきますので、照らし合わせながら読んで頂ければと思います。

二代目・山本兵蔵幸房(二代目菅助)

※天文二十二1553年5月11日生~天正三1575年5月21日没(23歳)

晴幸の実子で幼名は兵蔵(へいぞう)、文献によって勘蔵信供(かんぞう のぶとも)と表記されることもありますが、これは伝説上の勘助と兵蔵が混じった通称かも知れません。

永禄四1561年9月10日(9歳の時)、川中島の合戦(第四次)で父・晴幸が討死したため、義兄(姉婿)の十左衛門尉幸俊(じゅうざゑもんのじょう ゆきとし)に後見されて育ちます。

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