江戸時代にも活躍していた!武田信玄の軍師・山本勘助の伝説を受け継いだ子孫たち【上】 (3/4ページ)

Japaaan

永禄十一1568年、16歳で元服して「二代目・山本菅助」を襲名、主君・武田家より小者6名の軍役を課せられます。その後の戦歴は不明ですが、外征にせよ、守備にせよ、伝説の軍師・山本菅助の嫡男として大きな期待が寄せられたことでしょう。

長篠合戦図屏風(一部)

しかし信玄公の死(元亀四1573年4月12日)から2年後の天正三1575年5月21日、織田・徳川連合軍との戦い(長篠の合戦)で討死してしまいます。

23歳という若さで亡くなった幸房に代わり、義兄の十左衛門尉幸俊が家督を継承しました。

三代目・山本十左衛門尉幸俊

※生年不詳~慶長二1597年没

甲斐国臼井阿原郷(現:山梨県中央市臼井阿原)の領主・饗庭越前守利長(あえば えちぜんのかみとしなが)の次男として生まれ、天文二十1551年に男子のなかった山本菅助(初代・晴幸)に婿入りします。

しかし、その2年後に兵蔵(二代目菅助・幸房)が生まれたため山本家の跡取りから外され、初代菅助が川中島で討死した後は、兵蔵の後見人となります。

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