美しすぎた故の不幸…戦国時代、禁じられた悲恋に命を散らした少女・初音姫
いつぞや「美しすぎる~」なんて言葉が流行ったようですが、古来「過ぎたるは猶(なお)及ばざるが如し」とはよく言ったもので、どんなプラス要素であっても、過ぎれば却って不幸になってしまうのはよくあること。
そこで今回は、美しすぎた悲恋の少女・初音姫(はつねひめ)のエピソードを紹介したいと思います。
禁じられた恋愛と、強いられる政略結婚今は昔の戦国時代、志摩国の波切城(現:三重県志摩市)に初音姫という美しい少女が住んでおりました。その美しさと言えば、国じゅうの地頭たちが先を争って結婚を申し込んで来るほどで、父親の九鬼弥五郎澄隆(くき やごろうすみたか)は、次から次へ断るのに苦労したそうです。
しかし、澄隆は初音姫を在地の有力地頭・甲賀藤九郎(こうが とうくろう)に嫁がせる、いわゆる政略結婚を決めていました。
「初音よ。そなたは藤九郎殿に嫁ぐのだ。よいな!」
結婚に当事者の意思など許されない時代のこと、一族の棟梁にそう命じられれば黙ってうなずくより他にないのが常識ですが、初音は違いました。
たとえどれほど美しくても、愛する人と結ばれねば、何の意味があるだろう。
「父上、どうかお願いでございます。わたくしは玄蕃允さまの許へ参りとう存じます……!」
玄蕃允とは志摩国における地頭衆の一人・越賀玄蕃允隆俊(こしが げんばのじょうたかとし)のことで、九鬼一族とはライバル関係に当たります。
聞けば玄蕃允とは相思相愛であるとの事で、つまり知らぬ間に「夜這い」をかけられてしまっていたのでした。
「何という屈辱……!玄蕃允となど、断じて許さぬ!」
怒り狂った澄隆は、もう二度と「間違い」の起こらぬよう、藤九郎との縁談を強引に進めてしまいます。
決死の脱出も虚しく……しかし、初音姫も玄蕃允への想いを断ち切れません。
「どうしよう、このままでは藤九郎と結婚させられてしまう……」
思い詰めた初音姫は、ある晩に皆が寝静まった頃合いを見計らって波切城から脱出、玄蕃允の許へ走りますが、そんな思惑などお見通しとばかり、藤九郎が待ち構えていました。
「九鬼一族の娘でありながら、敵に通じようとは不届き千万……死ね!」
必死で逃げる初音姫に抜刀し、その首を斬り飛ばした……と思った藤九郎ですが、刀はなぜか地蔵の首に当たり、真っ二つに折れてしまいました。
「どういう事だ……?」
藤九郎が戸惑った隙に時間を稼いだ初音姫ですが、女性の足で逃げ切ることはできず、結局は藤九郎に捕まってしまいます。
「……この、九鬼一族の恥さらしめが!」
澄隆はカンカンに怒り狂って初音姫を散々に折檻(せっかん)した挙げ句、土牢に幽閉してしまいました。
それでも玄蕃允を諦め切れない初音姫はどうにか脱出(牢番を買収でもしたのでしょうか)、最後の力を振り絞って一艘の小舟を漕ぎ出します。
……が、弱り切った少女の細腕では熊野灘の荒波を乗り越えられず、小舟はあっけなく浜辺に押し戻されてしまいます。もはや陸路を突破する気力も残っていません。
「……人々はわたくしを美しいと褒めそやしたが、その美しさが我が身の不幸を招いたのであれば、二度とこの里に美しい娘が生まれませんように」
そう念じた初音姫はそばの井戸へ身を投じ、短い生涯に幕を下ろしたのでした。
エピローグ以来、この里には美女が生まれなくなったそうで、初音姫の亡骸は藤九郎の刀から身を守ったお地蔵様の近くに埋葬されたと言われています。
永らくこの話はフィクション(伝承)とされて来ましたが、初音姫の塚を調査したところ、瑪瑙(メノウ)の勾玉など副葬品が出土したため、彼女の実在性が確認されたそうです。
ちなみに、さっきから何度も名前が出てくるものの、一度も姿を見せない玄蕃允ですが、彼が初音姫について特段の想いを寄せていたという記述はなく、志摩地頭衆の盟主である橘宗忠(たちばなの むねただ)の妹と結婚。その地位を固めています。
その後も九鬼一族との抗争を繰り広げますが、最終的には織田信長(おだ のぶなが)の後ろ盾を得た九鬼一族の軍門に降ったのでした。
もし、玄蕃允が初音姫と結ばれていたら志摩国の勢力図は大きく変わり、二人の未来もまた違ったものになったことでしょう。
※参考文献:
志津三郎『九鬼嘉隆 信長・秀吉に仕えた水軍大将』PHP文庫、1995年7月
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