田中美奈子「入浴中に男子学生たちが集まってきて」ズバリ本音で美女トーク
最近はキャンピングカーキャラで話題の田中美奈子さん。実は、アイドル時代からアウトドア好きだった彼女が、忙しすぎてろくに眠れなかった当時の、芸能界の仰天エピソードや恋愛事情などを大告白!
――今年1月に行われた、国内最大級のキャンピングカーの祭典『ジャパンキャンピングカーショー2020』で、ご主人で俳優の岡田太郎さんとともにアンバサダーに就任されました。
田中 はい、業界全体の広報としてキャンピングカーが、いかにステキなものかということを皆さんにお伝えできればと思っています。
――頑張ってください。ところでキャンピングカーに興味を持ったきっかけは、なんだったんですか?
田中 私が小学生の頃、車屋さんをやっていたおじに、いとこたちと一緒に牽引タイプのキャンピングカーで、山中湖に1週間ぐらいキャンプに連れて行ってもらうのが夏の恒例だったんです。
――子どもの頃から、なじみがあったんですね。
田中 そうなんです。その後、おじが中古のバスを買い、それを自分流にキャンピングカーに作り替えたのを私も手伝ったんです。私自身も結婚後、出産して子どもたちが成長して、その頃の私ぐらいの年齢になったので、同じような体験をさせてあげたいと思うようになって、キャンピングカーが欲しくなったんです。
――そういえば出演されたバラエティ番組で、同イベントのキャンピングカーアワードを受賞したい、とアピールされていましたね。
田中 その甲斐もあって、私達のために、新しくアンバサダー枠を作ってくださり、アンバサダーに就任させていただきました。その特典で、新車のキャンピングカーを1年間お借りできるんです。しかも内装を好きにカスタマイズしていいんです。ベースの色だけでも何種類もあって、何色にしようかってところから家族の中で意見が割れちゃっているんですよ(笑)。トイレをつけるか、シャワールームをどうするか、犬を飼っているので汚れても拭き取れる素材の床にするかとか、いろいろ考えるところがあるんです。
――選ぶ楽しみがありますね。行きたい場所は、どこですか?
田中 日本を縦断したいんですよね。たとえば、その土地土地で農作業を手伝わせてもらって、そこでいただいた野菜で料理を作って農家の方にごちそうする、といった人との触れ合いもしたいですね。最終的には、アメリカ横断に挑戦したいんです。
■旅行先でのハプニング
――実現できるといいですね! 旅行がお好きですね。
田中 はい、独身の頃は宿の予約もしないで、とりあえず出かけようって感じで、目的地に向かう途中で、電話して宿を探すみたいな(笑)。職業的にいつ休みが取れるか分からないので、行けるときに行かないと。だから、行き当たりばったりの旅には慣れています。宿がどこも取れなくて車で寝たこともありましたよ。
――旅ならではのハプニングですね。
田中 他にも、箱根に行ったときは、坂の上に泊まる宿があったんですけど、車が小型車だったので坂道を登り切れなかったこととか、尾久島に行ったときは修学旅行中の学生の団体と宿が重なっちゃって、私の入浴中に、それを知った男子学生たちが女子風呂の前に集まって人だかりができて、湯船から出られなくなって、のぼせちゃったことも(笑)。
――アハハハ。そして、毎年行かれているというパラオでは、2016年から名誉親善大使を務めていますよね。
田中 今から30年前に、写真集の撮影で初めて行かせていただいたのがきっかけなんです。あまりの海の美しさと、親日家の多いパラオの人たちの温かさに、すっかり魅了されましたね。それから毎年行くようになって、当時お世話をしてくれたのが大統領のファミリーの方で、そのご縁で名誉親善大使をやらせてもらうことになったんです。
――名誉親善大使って、どんなことをするんですか?
田中 昨年、パラオの独立記念25周年パーティが開かれたときは、会場でお客さんのお出迎えをさせてもらったり、今年の2月から開始した、スカイマークの直行便運航のお手伝いをさせてもらいました。
■アイドル時代はワンレンボディコンで
――幅広い活動をされているんですね。ところで、30年前といったら当時の日本はバブル景気で、アイドルだった田中さんは、ワンレンボディコン、トサカヘアーで、まさしく“時代の寵児”というイメージがありました。
田中 アハハハ、ピンク・レディーさんに憧れて歌手になりたいという夢があって芸能界に入ったんです。最初はモデルとして活動していて、その後、ドラマにも出演させていただいたりして、1989年にカバー曲『涙の太陽』で歌手活動をスタートするんですけど、当時はCDを初めて出すのがデビューって解釈があったので、私のアイドルデビューは89年なんです。
――当時は、その瞳に1億円の保険がかけられたことがすごく話題に。でも、瞳よりも“美脚”のほうに目がいってしまいました。
田中 世の中の9割の人が、そうみたいですよ(笑)。インタビューでは大抵「(保険をかけたのは)脚ですよね」って言われるんですよ。
――でしょうね。当時は田中さんをテレビで見ない日がないくらいでした。
田中 睡眠時間も1週間で10時間くらい。家に帰って来てもシャワーを浴びてまた、すぐ出るみたいな(笑)。収録も一日で8本から、多い日で11本入っていました。だから、ダブル・ブッキングなんて当たり前。時間がなくて、移動でヘリコプターを使ったことも。
――なんともバブル時代を象徴する話ですね。
田中 石原プロさんの『ゴリラ・警視庁捜査第8班』(テレビ朝日系)という刑事ドラマに出演させてもらったときは、ドラマの私の出演シーンの撮影が終了した記念で、三菱のエクリプスという車をいただきました。
――バブル時代とはいえ、さすが石原プロ。スケールが違いますね。バブルといえばディスコですが。
田中 あの頃、皆さんが抱く私のイメージは、夜な夜な六本木で遊んでるって感じでしたけど、ディスコにはほとんど行かなかったですね。というか、忙し過ぎて行く時間がなかったんですね。本来はキャンプとかアウトドアが好きなのに、まったく違う、真逆のイメージが独り歩きしてしまって。このギャップに、すごく苦しみましたね。とあるテレビ局のプロデューサーからも“美奈子ちゃん、その年齢でワンレンボディコンみたいな格好で売り出すのは絶対失敗するよ”って言われて、すごくショックを受けて落ち込んだことがあって。そのプロデューサーを絶対見返してやるって思って、そこから本当、寝ずにガムシャラに仕事して……って感じでしたね。
■恋愛禁止令は?
――仕事一筋で恋愛する時間もなかったと思いますが、今のアイドルみたいに事務所から恋愛禁止令が出ていたんですか?
田中 禁止だと言われたことはなかったと思います。すでに二十歳を過ぎていましたからね(笑)。
――田中さんに言い寄ってくる男性もたくさんいたんじゃないですか。共演者からこっそり電話番号が書かれたメモを渡されたとか?
田中 それはありましたね。それで、こちらから電話をかけなかったら、怒ったのか、共演者だから私が収録中なのを知っていて、スタジオ宛に電話をかけてきた人がいましたから。
――大胆不敵すぎる!
田中 いくらなんでも、それしちゃダメでしょって(笑)。私はメモで、その方の番号は知っているけど、相手の方は私の番号を知らなかったですから、強硬手段に出たんでしょうね。
――芸能界以外でもモテたんじゃないですか?
田中 社長さんとか、お医者さんとか、知り合いは本当にいっぱいいたんです。でも、お金持ちで成功している人にはなんの興味もないっていうか、そういう人に私は必要ないんじゃないかなって。やっぱり、人生を一緒に苦労して築き上げていくのが結婚の醍醐味じゃないかって思っていたんですよ。バブル時は世間ではごはんをおごってくれる男性をメッシー君とか呼んでいましたけど、私は男性からごちそうしてもらうのが、すごく嫌だったんです。
――それはどうしてですか。
田中 ワリカンのほうが気が楽というか、私も好きなものを頼めますし。“ごちそうさま”って軽く言えないタイプなんです。
――そんな田中さんですが、実は5年ほど前にも、このコーナーに登場していただいていて、そのときに“コメディに挑戦したい”っておっしゃっていたんです。
田中 それは昨年放映されたドラマ『セミオトコ』(テレビ朝日系)に出演させていただいて、かないましたね。ヤンキーな母親役で人生初の特攻服でメイクも派手。自分でも鏡を見たときに“コレ、誰?”って思ったくらい。すごく変身させてもらって、振り切れて演じることができたので楽しかったですね。このドラマのDVD-BOXが先月発売されたので、よろしくお願いします(笑)。
――最近は女優としての活動が目立ちますが、写真集やグラビアなどはいかがでしょう?
田中 もう、さすがに誰も、今の私の水着姿とか見たくないでしょう(笑)。
――いやいや、見たい人はたくさんいると思いますよ。
田中 う〜ん、グラビアをやるよりも歌をやりたいですね。ソロではなくて、デュエットとかいいですね。
――アイドル時代と変わらぬ美貌の田中さん。“美魔女”の今後の活動に注目です!
たなか・みなこ 1967年9月12日、千葉県船橋市生まれ。A型。T160。1984年に『ミスマガジン』で準グランプリを受賞し、芸能活動開始。89年に『涙の太陽』でアイドルデビュー。美脚で“学園祭の女王”としてブレイク。その一方で、ドラマ『君の瞳に恋してる!』『星の金貨』シリーズなど多くのドラマやバラエティ番組、CMなどで女優、タレントとしても活躍。99年にはNPO法人動物愛護団体『elf』を設立し、代表として動物と人間との共存について各地で公演活動も行っている。