400年前、仙台城下に張られた”六芒星の結界”は今も生きているのか?その3

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400年前、仙台城下に張られた”六芒星の結界”は今も生きているのか?その3

六芒星の6地点は、すべて高台に位置していますが、ある高さを持って結界のラインが結ばれています。

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400年前、仙台城下に張られた”六芒星の結界”は今も生きているのか?その2

仙台城下の土地は広瀬川の中流に位置し、河岸段丘地です。台原・上町・中町・下町の4つで形成され、上町と中町の段丘崖は勾当台公園に見ることができます。あの付近に、公式の鬼門である定禅寺がありました。

中町と下町は、片平と花壇の境界で、その高さは見た目にも圧倒されますが、坂道を上れば、実感できます。

藩政時代、城下内に建物を作るときには、最高高さを四間半以内に制限するよう藩令で定められていました。

表向きには、軍事目的である「見通し」において邪魔にならないように、という理由でしょうが、実のところは知られてはならない「結界」を守るためではなかったか。呪術としてのラインには強力な気の流れが走っていますから、これを妨害してはならないのです。

四間半は、今でいうと3階建てくらいの建物になりますね。現代では高層ビルが立ち並び、結界は遮られてしまっている箇所があるでしょう。

ーすべての存在(万物)は「気」によって作られている-

昔、「天」の存在は人々の生活の中にあり、様々な自然現象は宇宙の”意思”が起こすものとして当然に受け入れられていました。豊作を願っては天を仰いで祈り、病には呪文で邪気を祓いました。

太陽や月を崇拝し宇宙を神とした時代、呪術や祈祷は人々にとって大きな地位をしめていました。「陰陽道」は、1400年にわたって日本を支配してきました。

しかし、人はいつしか自然よりも偉くなり、かつては国家の官庁だった陰陽寮は廃止され、天から授かったはずの能力のごく一部しか使わずに生きるようになりました。その代わりに科学は進歩し、神の領域だった天に飛び、ついには月に到達しました。宇宙には人間が出したスペースデブリ(宇宙ゴミ)が、ものすごい数漂っているそうです。

私たちは今、地球からの警告に耳をすまし、先人たちが遺した価値観に立ち返ることを強いられているような気がしてなりません。(*決してアレなスピ系という意味ではなくてですね)

参照:星の街仙台

*この物語は、個人の研究調査であり歴史的史料は存在しません。星の街仙台プロジェクトのオリジナル創作になりますので、無断で他所で発表する事、また各寺社への問い合わせなどは絶対にご遠慮下さい。

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