ベルリンの壁崩壊へと繋がった革命的な市民運動の原点 / ドイツ・ライプツィヒの「聖ニコライ教会」 (3/5ページ)

1981年に旧東ドイツ圏で牧師のクリスティアン・フューラーが始めた「平和への祈り」が礎となり、1982年からは毎週月曜日に様々な教会で行われるようになった平和運動は体制批判運動へと成長していきます。
さらにこの状況を結果的に加速させたのが1985年にソ連共産党書記長に就任したミハイル・ゴルバチョフでした。
社会主義体制の枠組みの中で民主主義改革を進めようとしたゴルバチョフはペレストロイカと銘打ち改革を進めようとします。残念ながら彼の理想は実現することはありませんでしたが、結果として社会主義体制そのものの放棄と、連邦制の崩壊を加速させてしまいます。
そしてとうとう1988年にポーランドで非共産党政権が誕生、またハンガリーでも社会主義労働者党の改革派が政権を獲得、社会主義体制は実質的な崩壊へとその歩みを進めていきます。
そして、1989年11月9日、ドイツ・ベルリンに歴史的な日が訪れます。
この日、出国規制を緩和するための新しい法案を東ドイツ政府は決定したのですが、時の政権の広報担当者が「東ドイツ国民はベルリンの壁を含めて、すべての国境通過点から出国が認められる」と誤った発表を行ってしまい、さらには、いつから発効するのかという記者の質問に「私の認識では『ただちに、遅滞なく』です」と答えてしまいます。