決死の覚悟で恋人を救出!満洲馬賊の女親分「満洲お菊」こと山本菊子の生涯【上】 (2/3ページ)
やがて一端の娼婦として客をとるようになれば「からゆきさん(※外国在勤の日本人娼婦)」と陰口を叩かれ、処世術に疎かったのか一箇所に留まることができず、満洲地方やシベリア各地を放浪しながら糊口をしのいでいたそうです。
シベリアでバーの女将になり、馬賊・孫花亭と出逢うそんな荒んだ20代を送った菊子は、30歳も過ぎた大正五1916年ごろからブラゴヴェシチェンスクにバー「オーロラ宮殿」を開業。アムール河を挟んでシベリアと満洲の境界を往来する人々を相手に商売を始めました。
一説には、菊子が関東軍(日本軍)の諜報員として雇われていたとも言われていますが、酒場には様々な人が集まるので、情報収集にはもってこいの環境と言えます。
お客がたくさん来ればもちろんいいし、来なくても経営資金は日本軍が出してくれるから倒産の心配はなく、むしろ衆目を避けたい人からとっておきの情報を聞き出せるチャンスもあり、菊子の商売は順調でした。
(関東軍のお偉いサンに、コネ作っておいてよかった……まぁ、売り上げはピンハネされるけど、その分は「副業(むしろ本業?)」でカバーすればいいし)
そうして多くの客と「副業」に励む菊子の店に、ある男性がやって来ました。彼の名は孫花亭(そん かてい)。間島(ジェンダオ。現:吉林省延辺朝鮮族自治州)を縄張りにしていた馬賊の頭領で、かの大軍閥・張作霖と義兄弟の盃を交わしています。