「福」を呼び込め!陰陽道から生まれた幸運を祝う浮世絵「有卦絵」とは【後編】
前回から引き続き『陰陽道(おんみょうどう)』から生じた、“有卦七年(幸運期が七年続く)”という考え方より生まれた浮世絵「有卦絵(うけえ)」についてご紹介します。
前回の記事
「福」を呼び込め!陰陽道から生まれた幸運を祝う浮世絵「有卦絵」とは【前編】 有卦絵に描かれた福の数々
『有卦絵』「金性の人」 明治24年 画:歌川国貞(3世)都立中央図書館特別文庫室所蔵
さて前編では『有卦絵』にはその画中に“富士山、福助、福寿草、福禄寿、藤、筆、瓢(ふくべ)”などの「ふ」の字がついた物が描かれたとご紹介しました。
上掲の画面中央には三幅の掛軸がかかっています。ちなみに掛軸は巻いた状態のものは“軸”と呼び、書けた状態のものは“幅(ふく)”と呼びます。
富士山と昇り龍一番右の掛軸に描かれているのは“富士山”と“昇り龍”の絵で、おめでたい画題と言われています。
龍は人を助けてくれるものだと言われています。その“龍”が黒雲に巻き付いているように見えませんか?黒雲は雨を降らすものです。“黒雲に巻き付いている龍”は日照りの時に恵みの雨を降らせるという説があります。
葛飾北斎も亡くなる三ヶ月ほど前に、富士と黒雲に包まれた昇り龍を描いています。この龍の姿は北斎自身の姿を描いたものだとも言われています。
福助その隣の掛け軸の絵に描かれているのは“福助”です。“福助”とはもともと江戸で流行した福の神の人形で、願いを叶えるものとして祀られたものです。
『当ル卯ノ二月十日有卦入』画:歌川広重 (国立国会図書館所蔵)
福助を描いた『有卦絵』は色々とありますが、上掲の浮世絵もその中の1つです。福々しい顔をした“福助”が、富士山と大きな“筆”を背景に軽快に走っています。腰に差しているのは“笛”でしょう。見ているだけで笑みがこぼれるような絵ですね。
風船で浮かんでいる人そして一番左の掛軸には「風船で浮かんでいる人」が描かれています。
『風船乗評判高楼』明治24年 画;歌川国貞(3世)国立国会図書館所蔵
“風船で浮かんでいる人”に関しては次のような背景があります。明治に入って23年を経た1890年11月24日、来日中の英国人スペンサーが風船(軽気球)に乗り上野公園で興行を行ないました。
もの珍しさも手伝って会場は大混雑。上野博物館前から風船で空高く飛び立ったスペンサーは風船から傘(パラシュート)に移り、根岸近辺に着地し大成功をおさめました。
上掲の『風船乗評判高楼』の浮世絵を描いたのは、『金性の人』と同人物、歌川国貞(3世)です。有卦絵の“風船で浮かんでる人”の掛け軸の絵も、スペンサーが風船(軽気球)に乗って空高く飛んでいったのを見知っており、描いたものでしょう。
「ふ」で始まる花の名三枚の掛軸の右側には“ふ”ではじまる“藤の花”が、掛軸の前には“福寿草”が飾られています。
このように花の名前の最初の文字が“ふ”で始まるものを描いた『有卦絵』には以下のようなものもあります。
『木性の人』1861年 画:豊原国周(都立中央図書館特別文庫室所蔵)
上掲の有卦絵では“福助”が花屋の店番をしており、“福娘”が“ふうらん”の鉢植えを手にしています。この花は江戸時代から愛された伝統園芸植物で“富貴蘭(ふうきらん)”といい、徳川十一代将軍家斉も愛好したという花です。
福娘の後ろには“ふくぼたん”、そして右へと“ふぢなでしこ”、“ふよう”、“ふうきそう(富貴草)”、“福寿草”、一番右下には“藤の花”があります。
福助の上着のポケットのあたりには“福”の字が、福娘の着物の模様にも“福”の字が染め抜かれており、福尽くしの「有卦絵」です。タイトルに『木性の人』とあるので、それに因んだ(つまり“植物の絵”)でまとめたのでしょう。
「当ル二月十日有卦入」安政2年_1855年 画:歌川広重(国立国会図書館所蔵)
こちらの「有卦絵」も福助と福娘が描かれています。福娘はただの福娘ではなく“藤娘”です。背景には“富士山”が描かれ、福助の手には“鷹”が。“藤娘”の着物の柄をよく見てみると“茄子”が描かれています。何か気づきませんか?
そう、初夢でみると縁起がよいといわれることわざの“一富士、二鷹、三茄子”です。何故この三つなのかというと、徳川家康が“富士山と鷹狩と初物の茄子が好きだったから”など、さまざまな説があります。
福禄寿
『辛酉八月五日木性人有卦ニ入』1861年作 画;歌川芳富(国立国会図書館所蔵)
上掲の『有卦絵』に描かれているのは『福禄寿』という“七福神”の中のお一人です。七福神の信仰は、前編で少しご紹介しました「七難即滅、七福即生」で、人生を苦しめる七難(火難、水難等)を滅し、七福を生じると言われています。
福禄寿のご利益はその名のとおり、“福:幸福(特に子孫に恵まれる)”、“禄:身分・財宝、寿:長寿”と言われています。足元には“筆”があり、左側には桃の形に穴を空けられた三方に乗った宝船に、福助と福娘が乗っています。『福禄寿』は経文を書き上げたのを喜んでいらっしゃるのか、とても楽しそうなお姿で描かれています。
「金性の人」 明治24年(部分) 画:歌川国貞(3世)都立中央図書館特別文庫室所蔵
さて、初めの「金性の人」の“有卦絵”に戻りますと、立っている女性が捧げ持っているものは“二股大根”で、着ている着物の模様は“瓢(ふくべ)”です。
座っている男性が三方に乗せて掲げているものは“有卦菓子”というものです。これは福を運ぶ“宝船”に“ふ”が頭文字につく物を型どったお菓子を載せています。江戸時代には“有卦菓子屋”という菓子店があったほど人々の間に浸透していました。
ちなみにこの宝船の帆の支柱は“筆”を模していますね。縁起を祝って“有卦菓子”を床の間や神棚に飾りました。そしてこの男性の羽織の紋は“ふくらすずめ”です。
『有卦絵』は江戸後期から幕末には流行し、明治の中頃から廃れていきました。日本は江戸の後期から明治維新を経て、国民は将来が予測できない不安に苛まれ、有卦絵などに心の安心を求めたのではないでしょうか。
“国民は将来が予測できない不安に苛まれ”ているのは現在の日本の状況に似ています。なにかしらの安心材料、もしくはその根拠になるものが必要ではないでしょうか。
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