信長だけが織田じゃない!マイナー織田家に仕えて信長に対抗した戦国武将・角田新五【上】 (2/4ページ)
名古屋市守山図書館)
新五の主君である信次は、父・織田信定(のぶさだ)、兄・織田信秀(のぶひで)、そして甥の信長と三代に仕え、天文二十四1555年4月20日に守山城主に任じられます。
そんな同年6月26日、信次が家臣を連れて松川渡し(現:庄内川。愛知県北西部)で川狩り(※)に興じていたところへ、信長の実弟である織田喜六郎秀孝(きろくろう ひでたか)が単騎でやって来ました。
「お、あれは守山の叔父御ではないか……(ニヤニヤ)」
信次をナメてかかった秀孝は馬から下りもせず、挑発するように近づいて行きます。
……と言うのも、信次は以前、兄・信秀の死に乗じて攻め込んで来た坂井大膳(さかい だいぜん)らに捕らわれ、人質にされてしまう(その後、信長らによって解放される)失態があったのです。
以来、信次は信長たちに頭が上がらず、兄・信長の威を借りた秀孝は、事あるごとに信次を腰抜けと見くびり、挑発したのでしょう。
事情を知っている家臣たちは「これ以上、主君の立場が悪くならないように」と堪忍したでしょうが、近ごろ仕官して事情を知らない中から、屈辱に耐えかねた若武者が現れます。
秀孝を射殺してしまった才蔵、信次の決断は……「こちらは守山城主・織田右衛門尉こと孫十郎信次様ぞ!どなたかは存ぜぬが、御前(ごぜん)を過ぐるに下馬せぬとは無礼であろう!」
彼の名は洲賀才蔵(すが さいぞう)。弓の名手として召し抱えられたものの処世術には疎く、卑怯な振る舞いを許せない性格でした。
「おい才蔵、よさぬかっ!」
「しかし……」
「はーっはっは……!」
うぬら如きに名乗るほど卑しき名ではない……そうとでも言いたげに呵々大笑するばかりで取り合わぬ秀孝に、才蔵は堪忍袋の緒が切れてしまいます。