天才テリー伊藤対談「デヴィ夫人」(2)いきなり国賓に…まるで映画のよう (2/2ページ)
デヴィ ええ、65年の9月30日に最初のクーデターがあって、スカルノ派の人たちが次々と逮捕されたり殺されたりもしました。結局、67年に生まれたばかりの娘と一緒にフランスへ亡命することになります。
テリー 聞いていると、映画みたいな話ですよ。そのあと、大統領にはいつ再会したんですか。
デヴィ 70年に「意識不明に陥った」という報を受けて、インドネシアに戻ることにしたんです。パリのお友達からは「殺されに行くようなものだから、やめなさい」と言われましたけど、「夫の死に目に会いに行って殺されるのなら、名誉なことだわ」「もし私が撃たれることがあったなら、神様、1秒でもいいから、我が娘を自分の手で殺める力をどうか与えてください」と祈りました。
テリー そこまでの状況と覚悟の中で再会されたんですね。
デヴィ その時は、もう懸命に死と戦っている状態で、ほんの短い時間会えただけ。翌日の朝、お亡くなりになられたことを聞きました。
テリー その後はフランスの社交界でご活躍されることになるんですよね。
デヴィ 先ほど言いましたけれど、フランス文学が私の血肉となっていたんですよ。パリに着いた時、あちらの貴族社会のことは全て理解していて、水を得た魚のように泳ぎ回ったんですね。
テリー この美貌とバイタリティー、さぞかし多くの男性と浮き名を流したんでしょうねえ。
デヴィ フフフ、そこはご想像にお任せします。