【検証】やっぱりいい国(1192年)鎌倉幕府…その成立年に関する諸説を検証してみた (2/4ページ)
治承四1180年……挙兵(謀叛)した頼朝公が鎌倉に入り、勢力基盤を固める
寿永二1183年……朝廷より頼朝公の「謀叛」が許され、東国の支配権を公認される
文治元1185年……平家が滅亡、朝廷より全国の支配権(地頭の設置)を公認される
建久元1190年……頼朝公が右近衛大将(常任武官の最高位)に任じられる
建久三1192年……頼朝公が征夷大将軍に任じられ、名実ともに「武家の棟梁」となる
承久三1221年……承久の乱で後鳥羽上皇に勝利、朝廷権力も掌握する
挙兵したばかり(治承四1180年)の頼朝公。後世の視点ゆえ立派に描かれているが、この時点では朝廷に対する「謀叛人」に過ぎない。歌川国芳「石橋山合戦」江戸時代
こうして見ると、まだ「謀叛人」の状態である治承四1180年説は、後世から見た結果オーライ(荒唐無稽)な言説に過ぎないことが分かります。
併せて承久三1221年説は、上皇とは言え朝廷との対立によって権力を掌握・強化していることから、これをもって(朝廷の承認を前提とする)幕府の成立とするのは無理があるでしょう。