【検証】やっぱりいい国(1192年)鎌倉幕府…その成立年に関する諸説を検証してみた (3/4ページ)
さて、時代を戻して頼朝公の謀叛が許されて東国の支配者となった寿永二1183年、全国の支配者となった文治元1185年の両説はまだ説得力を感じられますが、支配体制の拡充を以て幕府とするなら、その体制が形骸化(実質的に破綻)した時点で幕府の滅亡としなくてはなりません。
(※鎌倉幕府や江戸幕府は、滅亡の間際まで支配体制が比較的機能していたものの、室町幕府については応仁の乱以降すっかり形骸化、戦国時代へとなだれ込んで行きました)
カギは武家の棟梁≒征夷大将軍そして残るは、建久元1190年説と建久三1192年説。常設武官の最高位である右近衛大将であれば、武家の棟梁に相応しいと思われなくもありません(そもそも幕府とは近衛大将の唐名=別称だから、という事で、その叙任を幕府成立の根拠としています)。
しかし、江戸幕府の徳川家康は左近衛大将に叙任されているものの、室町幕府の足利尊氏は近衛大将に叙任されたことがなく、ここでも幕府の定義が破綻してしまいます。
頼朝公と足利尊氏、そして徳川家康の三人に共通する武官の最高位は征夷大将軍であって、それまでいくら政権体制が充実していても、武家の棟梁として名実ともに「幕府を開いた」と称しうるのは、やはり征夷大将軍の叙任と見なすのが妥当でしょう。
※なお、幕府という名称は江戸時代以降に用いられており、それぞれ開いた当事者たちが「幕府を開く」と言ったことはありません。あくまで後世の者が「武家の棟梁による全国規模の支配体制」を便宜上そう呼称しているだけです。
