「チン談マン談」特別対談「笑福亭鶴光×林家たい平」(2)銭のとれる噺家になれよ (2/3ページ)

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そしたら師匠が「三平師匠の家に留守番代わりに入れ」って。こん平の弟子でありながら、海老名家に住み込みしました。

鶴光 (九代目林家)正蔵や(二代目)三平おった?

たい平 いらっしゃいました。結婚直前の泰葉さんもいました。最初の1年は行儀見習い。で、1年たって弟子にしてもらって4年。最後にお礼奉公。で、6年半。毎日掃除するんで、もうやるところがない。庭の石を1個ずつバケツに入れて磨いたりして。退屈なんで、口笛で「ホーホケキョ」とやると、2階から女将さんの(海老名)香葉子さんが「たい平、今、庭でウグイスが鳴いた。コッチ来なさい」「どこですか?」「アレ? 声がしないわね」。また下りて鳴きマネすると「たいヘーッ」(笑)。

鶴光 あの香葉子さんでよう遊んだね。

たい平 噺家になるきっかけになった小さん師匠にもかわいがられました。ある時、特急あずさの前の席の小さん師匠がずーっと考え事してるんです。やっぱりいつも落語のことを考えているんだと思って、トイレに立った時に顔を見たら、鼻血が出ているだけでした(笑)。で、トイレで3種の巻紙作って「どれがよろしいでしょうか」って言うと、「おめー、エレーな」って。

鶴光 「時蕎麦」のあの食い方、あの顔や頬など、全てがミックスして初めてできる芸やねん。

たい平 江戸っ子の蕎麦と同じような話があって。地方の楽屋に寿司が出て、僕がお醬油をジャーッてさしたら、小さん師匠は「バカ野郎、こんなドボドボさしやがって。寿司なんてのはな、こういうふうにちょいとつけて食うもんだ」。で、1つ食べたら醬油なくなっちゃって、「おい、取ってくれ」って(笑)。

笑福亭鶴光(しょうふくてい・つるこ)1948年3月18日、大阪市出身。67年、上方落語の六代目笑福亭松鶴に入門。74年からニッポン放送「オールナイトニッポン」などのパーソナリティとして人気。東京を拠点に上方落語の発展に尽くす。上方落語協会顧問。落語芸術協会上方真打。出囃子は「春はうれしや」。

「「チン談マン談」特別対談「笑福亭鶴光×林家たい平」(2)銭のとれる噺家になれよ」のページです。デイリーニュースオンラインは、橘家圓蔵週刊アサヒ芸能 2020年 5/21号笑福亭鶴光林家たい平落語家エンタメなどの最新ニュースを毎日配信しています。
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