かなり濃厚な江戸時代のエピソード「八百屋お七」実はほぼフィクションだった?
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八百屋お七といえば、恋しい人会いたさに放火をした少女として有名です。しかし、江戸時代の資料によると、お七という名の少女が放火をしたという記録があるのみ。
恋人の存在や、お七を助けようとした奉行がいたというエピソードは作家による創作だったのです。
かなり濃厚な八百屋お七の物語火事が非常に多かった江戸時代。八百屋を営むお七一家は、天和2年(1683年)に起こった「天和の大火」と呼ばれる火事によって被災します。非常時の住処として、円乗寺で過ごすことになったお七。
円乗寺でお七が出会ったのは、寺の小姓・佐兵衛。お互い惹かれるようになったお七と佐兵衛は、親の目を忍んで逢瀬を重ねていたところ、お七の母にバレて大反対されます。
そうこうしているうちに、家が完成して戻ることに。監視の目が厳しく佐兵衛に会えない日々が、お七の激しい恋心を募らせていきます。
そして、「また火事になれば寺で佐兵衛に会える」という思考に陥ったお七は、放火を実行してしまうのです。
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当時の江戸では、「火には火を」ということから放火には火あぶりの刑罰が行われていました。しかし、年齢が15歳なら酌量があったようで、不憫に思った奉行によってお七を15歳にしようという動きが起こります。
ただ、お七は正直に自分の年齢を答えてしまうのです。そうしてお七は火あぶりに処され、その短い命を散らすのでした。
八百屋お七はほぼフィクションかなり濃厚なお七の物語ですが、ほとんどが作家によって描かれたフィクションです。江戸の歴史に記されているのは、江戸時代の歌学者・戸田 茂睡(とだ もすい)が書き残した「お七という少女が放火して処刑された」という文章のみ。
このエピソードが作家たちの創作心に火をつけたのでしょう。
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そのため、物語によってはお七の恋人の名前(庄之介や吉三郎など)も変わりますし、前述したようにお七を助けようとした奉行も追加されます。それほどの魅力が、お七にはあったのでしょう。
井原西鶴の「好色五人女」で描かれ流行したことから、歌舞伎や芸能で庶民にも知られるようになったお七。恋しい人会いたさに放火までする少女の激しい恋情は、見るものを魅了していったのでしょうね。
参考
国際社会経済研究所 男の隠れ家 2015年 1月号日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan