歴代総理の胆力「細川護熙」(1)「気まぐれな殿様」の異名 (2/2ページ)

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 同時に、ここで社会党の連立離脱は決定的になったのだった。ここでは、常に社会党とのバランスに腐心せざるを得なかったことから、細川内閣は「ヤジロベー政権」と言われたのだった。

 こうして連立与党内から信頼を失った細川政権が崩れるのは、アッという間であった。

「国民福祉税」構想がブチ上げられた直後、折り悪しく細川自身に対する東京佐川急便からの1億円借り入れ問題、義父名義のNTT株取得に関する疑惑が浮上した。国会答弁では明確さが欠け、スキャンダルで窮地に追い込まれたということだった。

 よせばいいものを、先の政治改革関連法案を「年内(平成5年)に成立しなければ責任を取る」と自信たっぷり、明言していたことも手伝って、ついに退陣表明を余儀なくされたということであった。ここでは「ヤジロベー政権」の一方で、「気まぐれな殿様」の異名も一枚加わったのだった。「気まぐれな殿様」とは、母方の祖父が戦前の近衛文麿総理であり、細川自身が肥後54万石の熊本藩主・細川家の18代当主と“毛並み”のよさから来ている。

 幼少の頃は、常にしつけ役の「おばば様」がおり、周囲は細川に対し「若様、若様」と腫れ物にさわるような扱いだったのだ。言うなら、こうした“殿様気質”のおおらかさの一方で、脇の甘さが招いた短命政権だったということであった。

 加えるなら、細川はそうした地元の堅固な支持基盤に乗り、本来の苛烈な選挙戦とは縁遠い中で、参院議員、熊本県知事を経、衆院に転じて1年生で総理大臣の頂にのぼったことから、魑魅魍魎の政治の世界のワナにひっかかったと言えなくもなかった。

■細川護熙の略歴

昭和13(1938)年1月14日、東京都生まれ。上智大学法学部卒業後、朝日新聞社入社。昭和46(1971)年6月、参議院議員初当選。熊本県知事を経て、日本新党を結成。平成5(1993)年8月、非自民政権としての細川連立内閣組織。総理就任時55歳。その後、政界引退。現在82歳。

総理大臣歴:第79代 1993年8月9日~1994年4月28日

小林吉弥(こばやし・きちや)政治評論家。昭和16年(1941)8月26日、東京都生まれ。永田町取材歴50年を通じて抜群の確度を誇る政局分析や選挙分析には定評がある。田中角栄人物研究の第一人者で、著書多数。

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